Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

物への執着より、断捨離を  レモンの実 二番花のバラ ベゴニア 

 断捨離はある種、自分の人生を整理していく作業だと思っているが、断捨離に反対する記事を読んだ。90歳をすぎる五木寛之さんの考えだ。「捨てない生き方」が話題になっている。彼は「捨てる身軽さ」より「捨てない豊かさ」を選ぶという。愛着ある「ガラクタ」は「人生の宝もの」だという。思い出に生きるのも大事だと。今私にとっても、捨てられないものに、思い出の写真がたくさんある。私が生きてきた証のようなもので、その写真をみれば、当時のことが鮮明に思い出される。ときには言葉使いまでも変わってしまうことすらある。それは私にとっては「思い出」だが、他の人にとっては何の意味もない。そんなものをいつまでも取っておくことにどれだけ意味があるのだろうか。身軽な毎日の生活の方が、気持ちがいい。どれだけ過去の思い出をしまっておく場所をどれだけ確保すればいいのだろうか。最近では、写真はデジタル化して、コンピュータやCDやDVDの中にあるので、いつでも簡単に見れるようになった。過去の写真も整理する必要があると思っている。

 台所用品などが一番あふれているかもしれない。来客用にとってある食器やスプーンやフォークなどがいっぱいある。コップやグラス類はどんどん使い、不要なものは処分してきた。お鍋なども家族が多くいたときに使っていた大鍋は、もう何年も使わずに場所だけをとっていたが、そうしたものは処分できた。大皿も不用。とくにコロナ禍の中、食事の形態ががらっと変わった。一人ひとりの定食スタイルが定着した。鍋料理ですら、一人用の土鍋で作り、一人ひとりでそれぞれのペースで食べるようになった。食器棚の中は、普段使いのものを一番取り出しやすい場所に置き、娘家族用の食器などもまとめて置いた。普段使わないものは、一番上の棚にまとめておいてある。思い出のある食器は普段使いにすることで、日常を楽しむほうがいいと思えるようになった。

 五木寛之さんは、外国に旅行したときに街を歩いていて、ほとんどのお店がしまっていて、一軒だけ開いているお店で、洋服を買ったという。その洋服は日本では一度も着たことがないが、何十年と部屋にあるという。思い出の服で、捨てられないという。五木さんの言う「思い出」に囲まれて、物が溢れている生活はやはり私には馴染まない。私には、物への執着があまりないのかもしれないが、断捨離をして身軽になるほうをとる。

 レモンの木に初めて実ができた。いくつもの実が重なるようになっていたが、自然淘汰して元気なのだけが残っている。大きく育つのだろうか、毎日楽しみに眺めている。植木鉢で育てているが、もう15年くらいになる。これまではいくつか花が咲くが、全部花は落ちてしまっていた。オリーブの木もたくさん実がついている。楽しみ。

 バラの花は二番花が咲き出した。ドイツのバラでフロージン’82。ベゴニアも定位置に植わった。蒸し暑さを吹っ飛ばしてくれる。