Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

服の断捨離と洗濯 学術会議の法改正見送り ブルーベリーの木

 ここしばらく、洗濯に凝っている。洗濯をしてしまっておいた春物の洋服を洗濯しなおした。数ヶ月は押入れの奥に仕舞い込んでいたり、クローゼットの中で洋服かけにかかっていたものを断捨離をして、これから先着るものだけを全部洗濯した。このコロナ禍のなか、外出することがなくなり、着る機会がなかったものがたくさんある。これからも先には絶対着ないものは断捨離した。すっきりとした。洋服はある種の思い出の証のようなもので、この服はあの時に着ていたとか、特別な機会のために購入したり、作ったものだとか。思い出にふけっていても先には進まない。

 アメリカで暮らしているパキスタン人の友人は、お出かけする前に洋服にアイロンがけをして、シワのない服を着て出かけていく。合理的だと納得した。ホテルによくあるアイロン台は立って使えるものだ。私はホテルでアイロンを使うことがないが、外国の人たちは、出かける前にシャツや服のシワを伸ばすのが当たり前なのだと思ったことがある。今回洗濯した洋服は、着る前にアイロンかけをしようと思い、クローゼットに戻した。

 学術会議の法改正を政府は見送った。岸田首相は、「丁寧な議論」が必要だと逃げた。実際にはノーベル賞受賞した研究者や世界の「学術会議」からの抗議文などもあり、政府の方針に対して学術会議からの反発が大きい。政府はゴリ押しにはできないと判断したようだが、決して反省したわけではない。時期が悪いと判断したまでで、考え方自体は変わっていない。しかも、以前に6名の研究者を学術会議会員に任命しなかった問題に対して明確な回答をしていない。すでに大学なども含めて学術研究に政府は介入し、軍事研究に膨大な研究費を支給するシステムが働いている。社会にとって、軍事にとって、「不要な学問」とは何かと選別していくシステムが出来上がっていくとすれば、恐ろしい社会となる。だから、アメリカやヨーロッパの「学術会議」はまったく自立した組織であり、政府は研究費は出すが、口はださない組織になっている。これが「学問の自由」を保証するということだと思う。

ベランダで育てているブルーベリーがいっぱい花をつけている。これがやがて実になる。少し大きなブルーベリーの木が二本あり、毎年実をつけていたが、突然枯れてしまった。理由はわからない。短く切って様子を見ているが、どうも新しい枝が出てこない。ブルーベリー専用の土や、肥料などを使っているのに、どうしてだろうか。この小さな一本のブルーベリーは順調に育っているのに。