Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

印刷機のトナー、 AIロボットに思う クレマティス

 印刷機のトナー(青色)がなくなったので、一切印刷ができなくなった。カラーはほとんどつかわないのに、いつの間にか青色のトナーがなくなった。アマゾンで購入して、トナーをさしかえた。黒しか使っていなくても、カラートナーはなんらか反応して、消耗するのだとネットに書いていた。カラー印刷機は、赤、黄色、青、黒のトナーが全部そろわないと印刷できないとあった。なんだか、腑に落ちないが、しかたがない。差し替えたのに、プリンターから印刷できない状態がつづいた。3日も印刷機が使えないのは、ちょっと不便なこともある。特にフランス語の読書会では、辞書でしらべたものや、試訳をつけたものを印刷して出したものが必要だ。訂正したり、書き加えたりできるから。コンピュータに記憶させている印刷機を消して、再登録しようと考えた。いろいろ触っているうちに印刷機がリセットされたようで、正常に動くようになった。デジタル化とは、こうしたわけのわからないことが起こる。

 最近ではテレビ番組で、ChatGPTを取り上げていた。ロボットが人間に代わって文章を作成してくれる。卒論などは、ロボットが書いてくれる。あるコメンテータが言うには、ロボットは過去の情報を分析するだけだから、新しい個人の意見や情報はそう簡単にロボットにまかせられない。ロボットが全部肩代りしてくれるわけはないと。国会での政府の答弁は、すべて総理秘書官やライターが書いてきた。首相や大臣はその文章を読むだけでいい。AIに答弁を書かせるとなると、もっと便利になる。子供たちは、勉強をしなくても、AIが答えをだしてくれる。社会生活に役立たないことは学ばなくてもよくなる。英語やフランス語やドイツ語などなど、外国語は学ばなくても、Chatで答えてくれる。実際に翻訳ソフトが開発され、どんな言語にでも翻訳してくれる。携帯電話だけ持っていれば、現金はいらないし、地図を持っていなくても、どこにでも行ける。AIはすでに日常生活の中に入りこんでいる。デジタル化が進むなかで、人間にしかできないことは何かをしっかり掴んでおかないと、とんでもないことになる。デジタル社会から切り捨てられるのは、文学や美術や芸術や音楽など。人間の感性や思想に関わる領域が不要視される。戦争に向かうときとも同じだ。

昨年の秋から、クレマティスの手入れをしてきた。どんなお花でも手入れをするだけで、期待に応えてくれる。クレマティスは放置したままでも、必ず花が咲いていた。小さな花がほんの2つか3つ程度だった。まっすぐ伸ばすのではなく、植木鉢の淵に何本か棒をたてて、蔓がぐるりと回るようにした。葉っぱもたくさんでてきた。蕾もあちこちについている。手入れをしただけのことはあった。