Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

8月31日 8月も終わり。コロナ対策をしない菅政権。 

8月31日は、夏休みが終わる日として記憶に刻まれた日。いつも複雑な気持ちに襲われた記憶がある。夏休みに予定していたことができなかったことの後悔と残念さ、新学期が始まり友人たちと一緒に学べる楽しさと期待が入り混じっていた。いまは毎日が同じことの繰り返し。「ああ〜もう今年も半分以上は過ぎ去り、あと4ヶ月しか残っていない。これからどうなるのだろうか」と、まったく予想もできないし、期待も持てない日々。

 菅首相は権力欲の塊りで、下村博文氏の自民党総裁選出馬を一喝で断念させた。下村氏は「政調会長」の役割を全うするとしたが、「政調会長」の座も菅氏におろされるだろう。権力の権化のような菅首相は何をしたいのだろうか。石破氏のいうように、早急に国会を開催し、コロナ対策のための法改正や新しい法律を作ることが使命だろう。だが、菅首相は、国会で追求され、うまく答弁できないのがいやなのだ。首相としての最大の権力をほしいままにして、権力に従順な人たちを周りにすえて、自らを守っている。そんな人が国家を担ってはいけない。無策な政治をやり続けると、どうなるかを早く誰かが菅首相に教えるべきではないか。こんな毎日が嫌でたまらない。コロナ禍から脱出したいが、それよりも菅政権から早く国民を解放してほしい。

 ロボットは毎朝8時半になると、動き始めて、あちこちを掃除してくれる。床や畳からゴミはなくなったが、テレビ台の上や椅子や棚などを掃除してくれるわけではない。雑巾掛けは欠かせない。ロボットが動き出す前には、モップで棚や台の上の埃を落としておかなければならない。最近では窓を開けっぱなしにしているので、風が砂埃や空気中の埃を運んでくる。時間があるので、ついついそんな埃が気になるので、あちこちを雑巾掛けしたり、ハンディモップをかけている。いまでは、ハンディモップはいろいろ商品としてでているので、あちこちの部屋に置いてある。

 コロナウィルスの感染は飛沫感染だと言われ、マスクが重要だという意識は定着してきたが、「空気感染」も重要視されている。地球上の空気を絶えず綺麗にしておく生活を意識していくことが最重要だと思うようになった。だとすれば、放射性廃棄物の処理なども、まわりまわって私たちの日常生活にさまざまな影響を与える。いま福島原発の処理水を海水に放出する計画を菅政権は容認している。あまり議論もなく政府決定してしまった。

 「報道1930」では、今日は数字の上では新規感染者数が減っているが、松本先生は東京では検査数が減っているので、感染者数が実態を示しているかどうかはわからないと指摘していた。「自宅療養」で連絡がとれないことで、対応が打ち切られたケースについても取り上げていた。「自宅療養」中に亡くなられる方が続出しているが、そうした状況に保健所は対応しきれず、最悪のケースとなっている。陽性者を自宅に放置している責任はどこにあるのだろうか。

 今日のメインはアフガニスタンの問題だった。私にはよくわからないが、自衛隊機を派遣したにも関わらず、日本人はアフガニスタンから退去できないでいる状況が理解できた。日本大使館関係者は早期にアフガニスタンを離れていて、日本大使館、JICAで働くアフガニスタン人と日本人若干名を含めて500人ほどを、日本が責任をもって退避させることができていないということだった。私の理解では500人ほどの日本人を退避できなかったのかと思っていた。日本は危険をおかしてまでアフガニスタン人を救出するつもりはないのだ。フランスなどは、もっと以前からアフガニスタン人から先に退避させ、最後にフランス人がアフガニスタンから離れたという。

   私が育てているバラたちが、再び咲き始めた。あちこちに蕾がついているが、少し小ぶりになっている。赤はリーベスツァーバ、ピンクはプリンセス・ド・モナコ

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