Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

「片桐ユズルさんを偲ぶ会」参議院予算委員会・国会中継

3月3日(日)午後2時から5時まで「片桐ユズルさんを偲ぶ会」が京都・国際交流会館であった。ユズルさんは昨年10月6日に92歳で亡くなられた。「偲ぶ会」には全国から150人が集まった。ユズルさんは、1960年代〜70年代のフォークソング運動とも深く関わり、詩と言語への関心を広めた。詩人だった。ボブ・デュランの訳詞も手がけた。さらにはアレクサンダー・テクニーク教師養成コースも立ち上げたことで知られる。たくさんの教え子さんたちが「偲ぶ会」の場を作ってくださった。

 ユズルさんに最後にであったのは、2022年12月のクリスマスパーティだった。そのとき、ユズルさんはとても元気で、終始ニコニコされていた。その直後に体調をくずされ、2023年10月に亡くなられたそうだ。自宅が近いこともあり、よくバス停で出会った。あちこちのアレクサンダー・テクニークの教室に指導に行かれていた。何年も大先輩の元同僚でもあった。「偲ぶ会」では、ユズルさんと親しい関係にあった方々から、ユズルさんのさまざまな側面が見えてきた。ユズルさんが嬉しそうにみなさんの声をきいているのだと感じられた。フォークソング・シンガーの古川豪さんや中川五郎さんの歌声は60年代半ばの時代に連れ戻してくれた。

 弟さんの中尾ハジメさんには、亡くなったあと、どうするかをいろいろと要望をだしていたという。とくにみんなで賛美歌を歌ってほしいと。「主よ、みもとに」と「高野の果てに」を合唱した。クリスマス・パーティのときもそうだった。

 私が海外研修に一年でるときに、片桐ユズルさんは持参すべきものをすすめてくれた。「日常机の前においてあるものとか、いつもよくみているものを持って行きなさい」と。日常に心を慰めてくれるのが、一番大事だと教えられた。一方別の方は、電気炊飯器をもっていくように勧められたが、私は持っていかなかった。お鍋でもお米の炊き方を知っているので。ユズルさんは、人の心と身体を一番に重視してこられた。たくさんの人たちにたくさんの種を撒いてこられた。

4日(月)午前中の参議院予算委員会国会中継をずっと聴いていた。岸田首相は官僚の書いた文章を読むだけなので、いつものように心に何も伝わることはない。だが、立憲民主党辻元清美氏の質問から分かったことだが、防衛費の使い方や、三菱重工がいかに武器を政府の要請に基づいて作っているとか、辺野古などの埋め立てなどの予算はこの防衛費とは別個にあり、すでに膨大なものであることなど、国民には隠されている。こうした国会質問がない限りにはわからない。イギリスなどでは、議会で日本が世界の戦争戦略にどれだけの役割を担っているかを明らかにしているが、日本では隠蔽している。国民に隠して、どんどん戦争への道を突き進んでいることが明らかになった。