Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

10月8日 ノーベル文学賞の発表と根本さんの本『スワヒリ世界・・・』

 10月8日夜8時、恒例のノーベル文学賞の発表がスウェーデンのアカデミーである。コンピュータを文学賞発表の舞台のライブに設定して、待っていた。選考委員会委員長から、スウェーデン語で発表があり、英語に通訳される。3パラグラフほどあった。最初は挨拶、選考過程、そして本題にと。本題に入ってから、スウェーデン語はまったくわからないが、それでも固有名詞をたどっていると、どこの誰が受賞したかはわかる。今回は、アメリカという言葉は聞こえてきた。何度か作家の名前を言っているがわからない。英語になってから、アメリカ人が受賞したことだけはわかった。だが知らない人の名前が繰り返されていた。とにかくケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴではなかった。ケニアも、アフリカもグギの名前もなかった。村上春樹もそうだった。もう10年近く、村上春樹とグギがイギリスの賭け屋のトップ争いをしてきた。

 今回受賞したルイーズ・グリュックさんは、女性詩人。受賞理由は「飾り気なき美しさを伴って個人の存在を普遍化する彼女独特の詩の編み方に対して」であった。

 略歴は、朝日新聞(2020年10月8日夜、デジタル版)によると

 「1943年、米ニューヨーク生まれ。コロンビア大などで学び、現在はイエール大教授。アメリカ現代詩で最も著名な詩人の一人とされる。詩集「Firstborn(ファーストボーン)」(68年)でデビュー。自伝的な要素をテーマとする作風で、「アキレスの勝利」(85年)などで国内外で広範な読者を獲得した。93年に「The Wild Iris(野生のアヤメ)」でピュリツァー賞、2014年に「Faithful and Virtuous Night(誠実で清らかな夜)」で全米図書賞を受賞している。」

 世界中には優れた作家たちがたくさんいる。読者はまちまちだ。ノーベル賞は賞金も桁外れで大きいので、世界中で注目されるが、賞を逃した作家たちの作品が決して悪いわけではない。文学賞のように、選考委員会の評価が一つではないところに選考の難しさがあるのだろう。年齢、地域、性別などの違いから文学への趣向も異なるのは当然だ。

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 根本利通著『スワヒリ世界をつくった「海の市民たち」』を読んだ。出版は10月30日だが、いち早く出版社昭和堂から送られてきた。根本さんは2017年2月に64歳でタンザニアダルエスサラームで亡くなられた。根本さんが京都大学の学生時代から知っていて、若い頃一緒にアフリカの勉強会をした仲間だった。彼は30数年タンザニアに住み、旅行会社を経営していた。タンザニアでは2度、自宅に招かれて食事をご馳走になったこともある。日本に帰国されると必ず訪ねてくれる。ある時はいま私たちが住んでいるマンションで、一人で数日間滞在したことがあった。

 この『スワヒリ世界・・・』は根本さんが亡くなられて、友人有志が根本さんが書きためた原稿をもとにして、一冊の本にした。遺稿集でもある。アフリカの東海岸を旅するいわば旅行記なので、楽しく読んだ。中には私も訪れたことがある地名がいくつも出てきて、根本さんと一緒に追体験をしている感じだった。亡くなる一年ほど前には私の夫とオマーンに旅行をしている。オマーンの空港で、夫は日本から、根本さんはタンザニアから合流した。訪問先の知人は共通の知り合いで、二人にとって懐かしい人だった。その旅の様子を夫から何度も聞いていたので、本を読みながら私も旅行しているような気分になった。旅行記は、それぞれの人にとって単なる思い出の場所の記録だけではなく、人生そのものであり、何に感動し、何に反応したかがうかがえる。

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 根本さんは、職場について間もなくして、心臓発作で救急車で運ばれ、その夜に帰らぬ人になった。二人の子供さんと妻さんを残して。いまはこの三人の家族は日本で過ごしている。アフリカの過酷な気候風土が身体にこたえたのだろうかと思うが。