Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

お正月の行事 能登半島地震など 

 2日(火)例年どおり、家族が集った。全員で6人。一時期、幼い子供から老人まで、19人もが狭い家に集ったことがある。ようやく同じテーブルで食事ができるようになっただけでも、嬉しいことだ。何年かぶりで大皿の出番があった。鶏肉のとりあわせの鍋料理もつくった。結構さっぱりとしていて、暖かい食べ物は胃にやさしい。餅米と白米をまぜて、煮た小豆を入れて、赤飯も炊いた。美味しくできていた。2回目の上賀茂神社もうで。長蛇の列ができていたが、人の流れがスムーズだったので、あっという間に本殿に。昨日買い忘れた御神矢を購入。この一年が無事に過ごせますようにと祈った。

 能登半島地震の被害状況は、時間がたつにつれつぎつぎに明らかになっていく。この間もずっと余震が起こっているという。どんなに恐ろしい思いをしていることか。大規模な火災も手のほどこしようもなく、200件以上の家屋が焼失したという。土砂崩れや家屋の倒壊など、悲惨な状況がテレビ画面に映し出されるたびに、胸が締め付けられる。知り合いが家族で能登の実家に帰省していて、地震にあったが、全員無事だというメッセージをFacebookに書き込んでいた。「よかった」。地震があったときに、一番にその人の顔が浮かんだ。以前お正月には帰省していると言っていたのを思い出した。3万人以上の人たちに影響がでているという。早急のライフライン確保と提供を。

 昨晩は日航機に海上保安庁の航空機が衝突した。日航機に乗っていた、400人近くの人が全員無事だったのは、よかった。だが海保機の機長は無事だったが、ほかの乗組員5人は死亡した。この海保機は能登半島地震の被災地に物資を運搬するためのものだったという。複雑な気持ちになるが、海保機が一般の空港で日常の活動をしていることは知らなかった。

 3日(水)1日の夜から、アメリカ、オランダ、ベルギー、イギリス、南アフリカの友人たちから地震見舞いのメールが届いた。FacebookメッセンジャーやWhatsAppなどは便利で、世界中の人たちとつながっているという感覚を強くいだいた。ありがたいことだ。地震は防ぎようがないし、海外にいる多くの友人たちは地震を体験したことはあまりないので、実感はわかないようだ。日本に来ていた時に、地震にあった友人が何人かいる。どの人もすごく怖がった。私はあまりたいしたことはないと説明しても、信じなかった。だいたい、震度2か3程度だったので、日頃から慣れている私にとっては、「大丈夫」と言いつづけた。地震を体験したことがない人にとっては、震度3でも恐怖だったようだ。私でも震度5以上は経験したことがないので、震度7は恐ろしい。淡路阪神大震災も、東北大震災も震度7だった。その被害の大きさは誰もの記憶にある。

 水道と電気と道路が切断されると、たちまちに生命維持に支障がでてくる。デジタルの電話もつながらない。こうしたことは、戦場でも起こっている。支援物資だけで生命を維持していくのではなく、どんな状況になろうとも、生命維持に欠かせないインフラを新たな方法で構築することを地球規模で考えてほしい。科学技術でできないことはないはずだ。月を開発するのではなく、地球環境を救い、地球規模で人類の生存を守る術を本気で考える時だと思った。

 午前中、北郵便局に年賀状を買いにでかけた。上賀茂神社参拝者や車のために、家の前からのバスは路線変更しているので、バス停2つ分、賀茂川の河原を歩いて下り、バスに乗った。数人が私と同じように年賀状を買いに来ていた。一年に一度だけでも無事に暮らしていることを伝え合う人たちがいる。