Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

太田神社のかきつばた エプロン作り 石川県珠洲市で地震

    5日(金)午前中に太田神社のかきつばたをみに散歩にでた。上賀茂神社を通り抜け、古い京都の狭い道路をたどり、太田神社まで行った。太田神社は、上賀茂神社よりも古くからあったそうだが、上賀茂神社が創建されたあとに上賀茂神社の摂社となった。しばらく前までは太田神社は誰でもがかきつばたをみることができたが、鹿などにかきつばたを食べられたので、周囲にフェンスが張られ、入園料をとるようになった。自主的に300円を支払う。太田神社のすぐ背後には神山があり、上賀茂神社とつながっている。かきつばたはほぼ咲き終わったような感じだった。今年のお花たちは、いつもよりも早く咲いている。例年は5月の連休明けあたりから、かきつばたが咲き始めるのだが。平安時代歌人であった藤原俊成(1114年〜1204年)が、「神山や 大田の沢のかきつばた 深き頼ぞ色にみゆらむ」と詠んだ。今では深泥池が残っているが、このあたり一帯は沼地だったのだろう。かきつばたは、色といい、姿かたちが、凛としていて身をただされるような気配をもっている。

   

     5月5日は上賀茂神社で競べ馬の儀がお昼から行われるので、すでに大勢の人たちが来ていた。馬が走る道が柵で囲われ、観客は広い芝生の上で観ることになる。一度見たことがあるが、馬たちがすでに芝生の上に集められていた。最近、上賀茂神社の前が整備され、3軒あったお店やバス停が移動して様変わりした。世界遺産に指定され、葵祭や競べ馬の儀式などがあり、観光客が増え、いっそう神社らしくなった。

   

午後から片付けをしたり、もう着なくなった、古いデニムのパンツを切って、エプロンを作った。何度もゴミ袋に入れて処分しようとしたが、何かつくれないかと思案していた。植木の作業をするときにでも使えるよう、ポケットをうまく利用して、デニムのエプロンを作った。まるで作業着。物作りをしている時が一番楽しい。これまでも、ストレス解消によくバッグを作った。日本の着物も、縫い直したり、掛け布団の表地にしたり、座布団にしたり、最後にはのれんに作りなおしたりする。着物の布は縦横にしか斬らないので、いろいろ工夫ができ、最後まで使いきれる。

 午後に石川県珠洲市で起こった地震について一斉にテレビ報道が切り替わった。震度6強で、家屋が倒壊している映像が流れた。2年前から断続的に地震があり、今後も続くという。日本中で大きな地震が起こり、その度に家屋が倒壊し、道路や河川が寸断されている。地震大国で原子力発電所はより危険だ。日本中で、いつ起こるかわからない地震を抱えながら、生活をせざるをえない私たち市民は、少しでもより大きな犠牲がでないような生活スタイルを作っていかなければならない。