Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

お誕生日会に 22年前の同時テロ 自民党の内閣改造

 11日(月)お知り合いが90歳になられた。友人・知人たち8人で京都のホテルでお祝いをした。久しぶりに、みなさんとお会いできて、とてもゆったりとした気持ちで、お祝い会ができた。90歳で、サ高住に移られた。「サ高住」って、初めて聞く言葉だった。サービス付き高齢者住宅だそうだ。自らすすんでそこに入られたらしいが、「何でこんなところに入らないかんの。帰りたい」と娘にときどきこぼすそうだ。長年一人暮らしをしてこられ、多くの知人や友人に囲まれていた。私たちも、長年ご自宅で会合をしたり、お食事をいただいた。長年「高齢社会をよくする女性の会」をやってこられ、介護保険制度や高齢者が暮らしやすい社会の構築を考えてこられた。1980年代に出会い、多くの女性たちにとって、生き方のお手本だった。いつも、「女性」が生きやすい社会を目指して、「女性」の情報を発信してこられた。「サ高住」の暮らしも私たちのお手本になるかもしれない。いつまでもお元気で、「お手本」でいてつづけて欲しい。対面で出会えることが、こんなにも喜びと力をもらえるのだとも思った。誰もが「おしゃれをして」「マスクもしない」で顔を見て、会話がつきなかった。

 22年前の、2001年9月11日はアメリカで同時テロが起こり、マンハッタンにあるニューヨーク世界貿易センターのビルに飛行機が突っ込んだ。私はちょうど南アフリカから帰国し、まだ頭がぼ〜としている中、テレビ画面に釘付けになった。映画かなにかと思うほどに、現実ではありえない場面だった。私は、2001年8月に南アフリカのダーバンで開催された「反人種主義・差別撤廃世界会議」に参加していた。アメリカとイスラエルはこの会議をボイコットしていた。日本からは小泉純一郎首相が参加していた。「反人種主義・差別撤廃世界会議」とアメリカでの同時テロと直接関係はないかもしれないが、アメリカの覇権主義への挑戦であったことは間違いない。もう22年も経ったのだと思った。日本では、さまざまな差別が根強く社会にあり、問題解決への道がない。考えるきっかけにもなっていない。自民党役員や閣僚の権力闘争が、メディアの話題になる。大臣の顔がかわったとしても、政府の強引な方針や進め方には何ら変わりがない。小渕優子氏に大臣ポストか自民党の重要なポストを与えるいう。そして必ずでるのが、女性議員の大臣ポスト登用という注釈がつく。ならば、アファーマティブアクションが主張する最低でも30%のポストを女性議員に与えるべきではないか。わずか数パーセントなのに、なぜ大騒ぎをするのか。メディアもおかしいのでは。