Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

バラが咲いた  京都水族館へ 8月15日は?

 バラの生命力はすごい。春先に切り花にしたバラの枝を植木鉢の端っこにさしておいたものが、新しい葉っぱを出し、いつのまにか蕾をつけていた。親枝に咲くのは大バラなのに、かわいい。これがいつの日にか大きくなるのかと思うと、嬉しくなる。挿木をした最初の年は蕾の状態の時に切り取り、咲かせてはいけない。一年目は枝を太くしなければならないと、教わったが、花を見てみたいと思った。四季咲きの親たちは、暑さにめげず元気に咲き続けている。

14日(月)数日前から、京都水族館に行く予定にしていた。天気予報では台風が近畿地方を襲うと予想されていたが、台風の速度が足踏み状態で、なんとか午前中に出かけることができた。2012年に開園した当初は、年間パスポートを購入し、時間を作ってよく出かけた。とても癒される場所だった。コロナ禍のなか、足が遠ざかっていた。内装もかなり変わっていたように思う。水族館をでたあと、里山の庭園が縮小され、散歩道がなくなっていた。京都市は内陸部にあり、海水を取り入れることができないので、海水を人工的につくった内陸型大規模水族館としても知られる。電力も再生エネルギーを利用し、徹底的に環境に配慮している。入り口近くにあるのは、鴨川に生息したオオサンショウウオイワナやヤマメなどが淡水のお部屋。私が好きなのは「クラゲ」。西日本最多の5000匹のクラゲが360度パノラマ水槽で展示されていた。誕生1日目からの成長の過程も。以前はこのような展示ではなかったように思う。イルカショーもみた。子供にかえったように、ひさしぶりに楽しんだ。

 私は、子供の頃は須磨の海で泳いだ。お盆をすぎると、海で泳いではいけないと言われていた。クラゲが発生し、台風の季節で海が突然荒れるからだったと思う。海の横には須磨海浜水族館があった。66年の歴史をもった神戸市須磨海浜水族館が今年の5月に閉館となった。小学校の遠足でも出かけたし、家族ともよく出かけた。水族館は民営化され新しい水族館に生まれ変わるようだが・・・日本は海に囲まれた国でもあるからか、水族館の数は120以上もあり、世界一。世界には500ほどしかないと言われている。ケープタウンで暮らしていた頃は、植物園と水族館の年間パスポートを購入し、しょっちゅう出かけていた。一人で、安心してのんびりと過ごせる雄一の場所だった。

写真のペンギンたちは、ケープタウンからやってきた可愛いケープペンギンたち。

15日(火)1945年8月15日、敗戦。午後のテレビ番組「徹子の部屋」では、「戦争と私」を特集していた。三波春夫加藤治子高峰秀子、江戸屋猫八の語りはどれも胸を打った。誰もが戦争はやってはいけないという。歴史を体験してきた人たちの声に耳を傾けなければと思う。だが、戦争経験を語り継ぐ人たちも少なくなり、戦争を知らない人たちが、「戦争へ向かう道」を声高に語るようになっている。麻生太郎は、先日台湾を訪問し、台湾有事を念頭に「戦う覚悟」をし、「対中戦争」に備えるべきと発言した。岸田政権が防衛費を肥大化させた理由に、「戦争を未然に防ぐ揺るぎない抑止力となる」に、連動している。アメリカの傘のなかで、自国を守るという、安保条約下での防衛抑止力は、戦争しない道への選択ではない。8月15日だけが「戦争を考える日」であってはならないと強く思った。