Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

バラの手入れとお習字 断捨離の本の中から

「バラのお手入れ」と「お習字教室」の火曜日。バラの誘引は先週で終わっていたので、バラの周りの雑草やクリスマスローズの手入れをした。クリスマスローズが咲き始めていた。葉っぱに栄養がまってしまうので、古い葉っぱをとったほうがいいと教えてもらった。

 「雁門紫塞 雞田赤城 (ガンモンシサイ ケイデンセキジョウ)」の前半部を書いた。意味は、「 北辺の要地に雁門山と万里の長城がある。雞田と赤城は北境にある。」紫塞は、万里の長城のことなのか。1995年9月に開催された第4回世界女性会議に参加したときに、万里の長城まで行き、山頂に作られた長い長い城壁を歩いた。いつまでも、どこまでも続く道に疲れ、すごい景色に圧倒された。

 本の断捨離が進んでいる。毎日新しい発見がある。とくに1980年代の後半には、世界中で「女性の権利」がようやく社会で受けいられるようになった。女性たちの声に耳を集めて、出版されるようにもなった。1985年にケニアのナイロビで開催された第3回世界女性会"(国連婦人の十年最終年世界会議)には参加し、アメリカのベティ・フリーダンとエジプトのナワール・エル・サーダウィとの激論は震えるような感動を覚えた。何度も紹介しているので、簡単にかけば、フリーダンがサーダウィに発言内容に注文してきた。フリーダンにとって議論が面倒になると思ったのだろうが、女性会議で誰が何を発言し、何を発言してはいけないかという構造こそが、「女性差別」の本質をついていると言って、サーダウィは抗議した。そしてナイロビ大学の構内から市内に出て、抗議行動をした。このデモは禁止されていた。

 もと同僚だった中島和子(よりこ)さんの古代ハワイ人の世界観をあらわした『人と神々と自然の共生する世界』がでてきた。和子さんは政治学者でアメリカの黒人問題を扱っていたが、晩年には「地上にいまだ国境がなく、太陽崇拝、自然崇拝、アニミズムが普遍であった時代の人々」に目をむけていた。自らもNPO古代遺跡研究所所長を努めていた。いまのロシアとウクライナの戦争、世界が二分された「戦争」ではなく、地球上で生きる人たちすべてがどうすれば、平穏な日常を過ごすことができるのかを考えたいが・・・和子さんの手紙が本に挟んであった。「足と頭以外は元気です」と晩年歩くのが大変で、家の中でも車椅子を使っておられた。とてもユーモラスな人だった。もう亡くなって何年もたつ。