Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

11月13日 母校に行く、広東風カレーライスを食べる

13日(土)午後から神戸市外国語大学楠ヶ丘会ウィメンズくらぶの講演会にでた。2016年に神戸で開催された模擬国連世界大会の学生委員会に3年生で参加した谷幸穂さん、高本真弥さんのお話をうかがった。そしてその時の経験がいまの仕事にどう生かされているかも語っていた。若い人たちの自信に満ち溢れたお話は久しぶりに刺激を得た。なぜこの会に参加したかというと、私より3年学年が上の正路怜子からのお誘いを受けた。久しぶりにお会いしたという思いと、コロナ禍から抜け出したい気持ちで神戸まで出かけることにした。私よりも2年先輩で、しばらく同職場の同僚となった三木草子さん、同学年のロシア学科出身の後藤安子さんともお会いできた。正路さんと三木さんは、学生時代から女性問題研究会を立ち上げ、「れ・ふぁむ」を発行していた。私は学生時代には、女性問題への鋭い意識を持つことはなかったが、卒業後には否が応でも「女性問題」を考えざるをえなくなった。

 1985年にナイロビで開催された「国連女性の10年」には、正路さんのグループに参加させていただいて、参加した。1995年の北京で開催された「国連女性の10年」から10年の国連会議にも正路さんのグループ「大阪北区の会」に入れていただいた。三木草子さんともこの会議後にモンゴルに行ったことも懐かしく思い出した。

 私たちが学んだ学舎から、1986年に現在のところに移転してもう35年がたつ。私が参加していた「黒人研究の会」の例会や大会などで神戸外大の新キャンパスに行くことがあったが、入り口のすぐ横にある同窓会館程度だった。かなり奥まった所のある教室棟や学生食堂や、図書館、LL教室などを見せていただいた。小規模な大学だが、以前の学舎とは違って、近代的で若い人たちが学びたくなるような様々な施設やクスノキメタセコイヤの並木道がとても印象的だった。

 正路さんたちと5人で元町にある民生支店の香美園にカレーを食べに行った。エッセイシストの平松洋子さんの記事を読んだ正路さんが是非に行きたいというお店だった。神戸で育った私にとっては、中華料理屋の民生はとても有名で、大丸のすぐ近くにある、南京町の民生には、よく母と中華料理を食べに出かけたものだった。その支店には行ったことがなかったが、カレーは確かに子供の頃に家で食べた味だった。ターメリックの味がよくきいた黄色いカレーで、とても懐かしい味だった。

 平松洋子さんが書いているエッセイには、華僑の人たちが、150年前の神戸開港以降、南京町に生活圏を広げて住みながら、彼らの食文化を広げていったことが書いてあった。神戸市外国語大学は、こうした人たちや文化交流を背景にして、戦後の1946年に神戸市立外事専門学校から1949年に神戸市外国語大学が始まった。英米、ロシア、中国の3学科が設置されてスタートした。そして私が入学した1962年にイスパニア学科が増設された。いまではこの4つの語学コースに加えて、国際関係学科がある。 

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