Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

本の断捨離 朝の散歩 「マスク」は本当に不要?

 本の断捨離はほぼ終わった。不要なものだけを取り除いただけだが、部屋の片隅と玄関の廊下に積み重ねている。南アフリカ研究をしている若い人たちがもらってくれるというので、その関連書と文学関係の本とを種分けした。何百冊とあるが、本棚に二重にかさねて入れてあったので、奥に何が入っているのかわからなかった。よくも本棚に入っていたと思う。しばらくは読みたい本だけが本棚にゆっくりおさまっているので、取り出しやすくなった。楽しみが一つ増えた。

 11日(土)とても陽気な日だった。久しぶりに賀茂川の土手を散歩した。水仙の花が咲いていた。鴨、キンクロハジロ、青鷺がいっぱい群れていた。春の気配を感じるひとときだった。結構多くの人がのんびりと散歩していた。マスクなど必要がないかもしれないが、ほとんどの人がマスクをして歩いていた。

 政府が「マスクをつけろ」とか「マスクをはずせ」とかいうのは、おかしなことだ。政府が国民に伝えるべきことは、誰もが安心して「マスクをはずせる」状況であることを、科学的根拠を示して発表すべきで、卒業式には「マスクをはずし」、「国歌斉唱にはマスクをつけること」というのは、やはり大勢が集まり、飛沫が飛ぶような場面ではマスクが必要だと言っているのと同じ。混雑する公共交通機関ではマスクは必要とも言っている。

 首相、国家の命令に国民を従わせようという魂胆が見え透いている。卒業式でマスクをつけている生徒がいれば、その学校や担任の教師が罰せられるのだろうか。強権発動の準備をしているのだろうか。勘ぐりたくなる。

 横浜F・マリノス vs ヴァンフォーレ甲府(国立競技場)があった。5万人以上の入場者がマスクをつけて、3年ぶりに声出し応援がゆるされた。観客は大盛り上がりだった。政府の許可を得てのことだが、大勢が集まるところでは感染の危険性があることを誰もが知っている。5月8日からコロナ感染症を2類から5類にかえるための準備として「マスクはずし」があり、感染者数の全数把握もやめるという。何のために、何故そうするのかを明らかにしないのはなぜか。こうした感染症の科学的データが作れなくなると、今後の対策につながらないと思う。高齢者は自衛のためにマスクはつけているだろうが。

 窓際に置いているバラの挿木に葉っぱがいっぱい出てきた。横においているランも花を咲かせはじめた。