Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

買い物に京都駅まで 大原の朝市のお花たち 「国葬」をめぐる問題

  17日(土) 特に予定もなかったので、娘と下の孫と京都駅周辺をブラブラした。特に何かの目的があったわけではない。家に引きこもっているより、外に出たほうがいいくらいの軽い気持ちでかけた。京都駅周辺には大勢の人たちが集まっていた。駅は通過点の一つで、旅の途中で時間調整のために、ブラブラすることもあったり、人との出会いの待ち合わせの場所であったり、観光のためにやってきて起点であったり、理由はそれぞれだ。外国であれ、日本であれ、どんな都市に出かけても、駅や空港から始まる。どこに行ってもô、駅前も空港もほぼ覚えている。

 今日は、京都駅周辺を少し歩いてみた。いつもは地下街とデパート(伊勢丹)か量販店(ヨドバシカメラ)しか行かないので、地上の変化は知らなかった。京都駅周辺にいくつもの新しいピルを建設中で、すっかり様変わりをしていた。いままでは、京都駅の周辺にも京都らしい低層の和風の家屋がたくさんあった。それが見事に姿を消し、高層ビルに替わろうとしているのを知った。

 18日(日)大原の朝市にでかけた。友人は先週に沖縄近くの海に潜りに行ったので、朝市はお休み。海に潜るのは、とてもエネルギーがいると思う。とてもいいお天気で、潜れたそうだが、最終日は潜れなかったが、観光をしてよかったと。とても楽しそうに話してくれたので、聞き入った。野菜とお花を購入。

 フウセントウワタオンシジュームケイトウ、リンドウ、オミナエシユーカリ、菊を購入。あれこれ入れてみた。

 エリザベス2世女王の「国葬」と安倍元首相の「国葬」が比較されている。国と質がちがう。ベッカムさんでも一般の弔問の列にならび、何時間も待っている写真が報道された。日本では宮本亜門さんに「国葬」招待状がきたと言う。ツイッターでこう述べた。「どうしてこれが僕に? 何かの間違いでしょう。政治家でもなく桜を見る会すら呼ばれたことがないのに。もちろん私は行きませんが。宮本亞門」。ツイッターで欠席を報告するのは、礼儀知らずだとか、おかしいという意見が飛び交っている。おかしいというほうも、なぜツイッターでと思うのと思うが。宮本亜門さんの「欠席」表明は、明らかに「国葬」に対する反対であり、どういう人を基準に招待状を出しているのかという疑問であり、「国葬」を利用して、政府がいろんな分野の人たちを取り込もうとする姿勢に対する抗議だと思う。「国葬」に呼んでやっている、「名誉」なことだろうといわんとばかりなら、「国葬」が政治利用になっているのではないか。一般の国民には一斉の「黙祷」を強制しないというならば、「国葬」にする必要はない。

 エリザベス2世女王の「国葬」には全国の一般の人たちの弔意が表れていて、葬儀の終了時に2分間の黙祷が決められていて、時間も公表されている。日本では二階前幹事長は、こう言い放った。「みんな黙って手を合わせて見送ってあげたらいい。・・・終わったら反対していた人たちも、必ず良かったと思うはず。日本人なら・・・長年つとめた首相が亡くなったのだから、みんな黙って手を合わせて見送ってあげたらいい。・・・国葬がどうだとか、こんな時に議論すべきではない。控えるべきだ」と。

 この「日本人なら」がSNSで炎上している。「国葬」に反対していることに対して何の考えもなく、この「日本人」という国粋主義的、全体主義的言い方には誰もが反発している。頭がふるく、時代錯誤な人が政治家であってほしくない。