Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

女王エリザベス二世の「国葬」 習字のおけいこ

 女王エリザベス二世の「国葬」がウェストミンスター寺院で行われたのをテレビで見た。宗教と政治ががっちりと手を組んでいたことをイングランド国教会の教会で、エリザベス女王がそのトップでもあった。いまは国会議事堂となっているウェストミンスター宮殿に遺体が安置されていたので、そこには一般の参拝者たちが、長い列をつくり、最後のお別れができた。そこからウェストミンスター寺院に運ばれて、国内外から2000人の招待客が列席するなか、厳かに儀式が執り行われた。新しくイギリスの首相になったリズ・トラスさんが聖書の一文を読んだ。ヨハネによる福音書第14章1〜9節だった。

14 “Do not let your hearts be troubled. You believe in God[a]; believe also in me. 2 My Father’s house has many rooms; if that were not so, would I have told you that I am going there to prepare a place for you? 3 And if I go and prepare a place for you, I will come back and take you to be with me that you also may be where I am. 4 You know the way to the place where I am going.”

Jesus the Way to the Father

5 Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?”6 Jesus answered, “I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me. 7 If you really know me, you will know[b] my Father as well. From now on, you do know him and have seen him.”8 Philip said, “Lord, show us the Father and that will be enough for us.”9 Jesus answered: “Don’t you know me, Philip, even after I have been among you such a long time? Anyone who has seen me has seen the Father. How can you say, ‘Show us the Father’? 

ウェストミンスター寺院で式典が行われたあと、英国全土で2分間の黙祷があった。その後、女王の棺は砲車に乗せられてバッキンガム宮殿の前を通り、ウェリントン・アーチまで約45分間、棺の後に、チャールズ国王やアン王女など4人の子供や、孫のウィリアム皇太子やハリー王子などが歩いた。多くの沿道の人たちに見送られた。前夜には馬が歩きやすいようにと、車道に砂を敷く作業をしていた。こうした気配りにも感動した。そのあと、霊柩車でウィンザー城に運ばれた。こうした場面がテレビ中継で放映され、世界中で数百万人が視聴したといわれている。イギリス帝国の偉大さを見たような思いがした。それと同時にエリザベス女王がいかに国民から、世界中から親しまれていたかということだろう。

 女王エリザベス二世は、居住していたウィンザー城の夫が眠るセント・ジョージ記念礼拝堂に埋葬された。ここは父ジョージ六世が亡くなったあと、エリザベス女王が私費で建てたものだという。父親と夫が眠る場所に加わった。トラス首相が朗読した聖書の中のThe Fatherというのは、「天にまします我らの主よ」なのだが、おそらく、父ジョージ六世のことも暗示したのだろうかと勝手に解釈している。

 

                       

 20日(火)お昼から、「おとなの小学校」のバラのお手入れに出かけた。二週間前の作業に参加しなかったので、久しぶりにバラたちに出会った。夏の暑いなか、黄色くなったり、病気にかかった葉っぱなどは、きれいに取り除かれていたので、今回の作業はそれほど大変ではなかった。それでも、バラの木にいっぱいトゲがあるので、病気の葉っぱを取り除くには大変だった。

  そのあと、お習字のお稽古にでかけた。「起翦頗牧 用軍最精」(キセンハボク ヨウグンサイセイ)の前半部を書いた。前半部の四文字は、秦の名将が白起(ハクキ)、王翦(オウセン)、趙の名将は廉頗(レンパ)、李牧(リボク)のそれぞれの一字をとっている。後段は「軍を用いるに最も精(すぐれ)たり」という意味。翦の文字は見たこともなかったので、まるでスケッチをするように書く。形がうまくとれないが、丁寧に書くことに努めている。先生はバランスが大事だと。