Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

「国葬」か「国葬儀」か 2年前のバラと今日のバラ

「報道1930」で「国葬」と「国葬儀」の議論していた。ゲストは、自民党牧原秀樹(元経済産業副大臣)、大串博志立憲民主党)、藤田文武(日本維新のかい)、林尚行(朝日新聞政治部長)。岸田首相は安倍氏の「国葬儀」を行うのであって、「国葬」ではないと、自民党の槇原氏は強調する。彼は弁護士らしいが、強調すればするほど、つじつま合わせのような気がしてくる。内閣法制局の入れ知恵、理屈合わせがある。「国会」重視か、「国会」軽視かの議論にすり替えられても、法律的根拠がない。だから、槇原氏が言葉を滑らしたが、裁判で訴えられているので、最高裁の判断待ちになるという。とても際どい理屈だと思った。「国葬儀」だから、国民に弔意を強制するものではないと主張し続ける。「国葬」であれ、「国葬儀」であれ、国が主宰する葬儀だから、国費も投入される。「国葬」ではないとは言い切れない。苦しい説明を国民は納得しない。全国一斉に「黙祷」を強制すれば、さらに憲法違反になるので、自治体、教育委員会、国民や自治体に「黙祷」「半旗」を強制しないと繰り返して、憲法違反の追及から逃げようとしているが、葬儀が終わった後、自治体や学校に点検が入るのではないかと恐れている人たちが大勢いる。

 しかも、安倍元首相と「統一教会」との関係は明らかにしないまま、「国葬」で安倍元首相がしてきたことを全てチャラにするつもりなのだろうか。それならば、一層「国葬」に反対する人たちが多くなる。国民の半分以上の人たちが、「国葬」に反対している。今日の岸田首相の「説明」は全く納得がいくものではなかった。岸田首相の口癖である「丁寧な説明で全力をつくす」は、言葉だけが踊っていて、全く「丁寧な説明」になっていない。国民の怒りはおさまらない。

 午後からの国会閉会中審議で、各政党からの質疑に岸田首相が答えていたが、全く答えになっていなかった。人間的感情を押し殺して、まるでテーブレコーダーのように言葉だけが流れていた。全く心に訴えてこない。菅前首相、安倍元首相と同じく、言葉だけで押し通す。

 Facebookに投稿したものはずっと残っていて、2年前に投稿したバラ(フロージン'82)が自動的に出てきた。今日咲いていた同じ木のバラを並べてみた。同じ木なのに、色も大きさも違う。面白い。土質やお天気の違いからか?