Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

淡路島へ旅 大塚国際美術館、おのころ島神社、イングランドの丘へ

 26日(土)およそ1ヶ月ほど前に、娘家族と一緒に淡路島へ旅行することを決めていた。コロナがあまり落ち着かないのと、26日は暴風雨だと天気予報では出ていたが、午後に京都を出発した。地下鉄の十条駅で娘にピックアップしてもらった。神戸まではそれほど雨が降っていなかったが、淡路島に渡る頃には暴風雨になっていた。車を運転しているのは娘だったので、乗っている者たちはそれほど感じなかった。明石大橋を渡る時、娘いわく、「ハンドルをしっかり握っていないといけないほどで、横風が強い」と。淡路南端にあるホテルに入るだけだったので、雨の中のドライブとなった。娘がとってくれたホテルは、以前にも夫と二人で泊まったことのある所だった。10年ほど前に、尾道に行き、しまなみ海道を通って、今治、松山、高松、淡路をめぐるドライブ旅行をした。その時に淡路で一泊した記憶が蘇ってきた。神戸で育った私にとっては淡路島は生活圏の一部のような所で、四国に行くときには必ず通る場所だった。花さじきやあじさい園、安藤忠雄さん設計の淡路夢舞台などはよく出かけた。

 27日(日)翌日は気持ちのいい晴天だった。何回か試みたものの、中に入ることがなかった大塚国際美術館に出かけた。淡路島と徳島をつなぐ鳴門大橋を徳島側に渡ったすぐのところにある。「陶板名画美術館」で大塚製薬などのグループ会社の設立75周年記念事業として設立した日本最大の常設展示スペースを誇る。エル・グレコの祭壇衝立復元、聖マルタン聖堂などが実寸大で復元されていた。ルーブル博物館でみた「モナ・リザ」が展示されていた。オランジュリー美術館でみたモネの「睡蓮」が野外に復元されていた。陶板なので雨でも平気。以前によく出かけていた比叡山の頂上にあるガーデンミュージアムにも、ゴッホ、モネ、セザンヌなどの陶板画があちこちにあったので、陶板画には違和感がなかった。2018年に京都国立近代美術館で開催された「ゴッホ展」でみた作品も大塚美術館にあった。ゴッホは「ひまわり」を描いていたことを知っていたが、同じモチーフで随分とたくさん描いていたことは知らなかった。それらがここにあった。陶板画の技術ではそれらの復元が可能だったのだと思った。

おのころ島神社に行った。日本書紀によると日本列島の誕生の始まりが淡路島で「おのころ島」と呼ばれたことに由来する。それを祀る神社。大きな鳥居があり、日本三大神社の鳥居の一つとして誇る。安芸の宮島、京都の平安神社、この神社。そしてこの神社のすぐ近くにある「イングランドの丘」に行った。以前にも行ったことがあるが、随分と変わっていたように思う。もっと素朴にイングランドを想像できたが、園内は随分ときれいに整備されて、イングランドというよりは、普通の公園となってしまったように感じた。美しく整備されていて、国籍不明となっていた。西オーストラリア州友好記念館があり、コアラがいた。以前に娘家族とオーストラリアに行き、コアラと遊んだことがあったので、孫たちは大喜び。帰路は交通渋滞に巻き込まれた。日曜日と子供たちの春休みと重なり、大勢の人たちが外出していた。道路は交通渋滞となり、事故があちこちで起きていた。普段は明石大橋は4キロほどなので、5分ほどで渡れるが、交通事故があり、30分以上もかかった。そのお陰で夕日が沈むのを見ることができた。とてもきれいだった。その後も中国道で事故のために大渋滞が起きていた。3時間もかかった。

  

 28日(月)普通の日常に戻った。ニュースから遠ざかっていたが、テレビのニュースはウクライナのことばかり。バイデン大統領がプーチン大領領のことを「権力の座にとどまってはいけない」と発言したことが問題になっている。ロシア政府からは反発が出て、「それはバイデンが決めることではない。ロシアの大統領はロシア人が選出するものだ」という。当たり前のことで、「ホワイトハウス当局者はその後、バイデン氏は政権交代や体制転換を要求したのではなく、プーチン氏がこの地域の近隣諸国に対して実力行使することは許されないと強調したのだと説明した。」とBBC Newsが報じている。当然のことで、ロシア側の反応は子供染みている。報道によれば、ロシア国内でクーデターが起こる可能性があるという。ロシア軍が生物兵器核兵器を使うかもしれないという不安が広がっている。それらを止めることができるのは何かを知りたい。

 他のニュースといえば、どこで桜が開花したとか、満開だというものばかり。「春は桜」で一変したいのはわかるが、社会が抱えている問題が解決するわけではない。