Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

18日 スケッチ教室と大原の朝市

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18日(土)午後からは「おとなの小学校」のスケッチ教室に行った。先月に描いたフランスのサンセヌリ・ル・ジェレの景色を彩色して仕上げたのを先生にみていただいた。なかなかレンガ作りの家の壁の雰囲気を出すのに、苦労した。遠近がまだうまくいかない。色の濃さで前と後ろの景色の違いを出すという。まだまだその感覚がつかめないが、少しでも楽しく描けるようになった。同じ景色でもそれぞれに個性がでていて、面白い。写真にはない面白さがある。

   今回は、同じくフランスのラ・ロッシュ・ギヨンというところのカフェで雑貨商を営んでいる田舎の小さなお店を描いた。縦線と横線がきれいにでる建物はシンプルだが、古道具を商なっているお店なので、さまざまなものを書き込まなくてはいけない。どんなふうに仕上がるか、楽しみ。

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 帰路、北大路のショッピングモールで、卵と豚肉と豆腐を購入。夜は野菜と豚肉の一人鍋。朝は非常に寒かった。朝起きた時には雪が一面に積もっていた。しばらくは吹雪になっていた。北陸、東北でも大雪だったそうだ。

 京都市内でも北区周辺は雪が積もっていたが、南のほうでは雪は積もっていなかったようだ。写真はマンションのベランダから西側。加茂川と舟形山。

 

19日(日)朝の6時半、大原の朝市に行く。一週間に一度だけ友人と一緒に大原の野菜を買いに行く。大きな大根と人参とじゃがいも、小菊、お豆腐とお揚げを購入。お揚げはとてもおいしい。

 午前中にお墓参りに行く。夫と一緒に、娘と山科で待ち合わせて、尼崎にある夫の両親のお墓参りに行った。下の孫も行ってくれた。名神高速道路を利用すれば、1時間ほどで行けるので、とても便利。私が車を乗らなくなってからは、コロナ禍の前はJRで京都駅から尼崎まで行き、そこからバスを乗り継いで行っていた。お正月の前に来れてよかった。京都に帰って、レストランで食事をすることにした。最初に行ったレストランは、満席で30分ほど待たないといけないということだったので、パスした。北山にあるレストランに電話をかけるとまだ空席があるとのことで、予約して行った。レストランに着くと、すぐに席に案内してくれたので、よかった。もうすでにお店には順番待ちをしている人たちがいた。コロナ感染が少しおさまっていて、日曜日なので、家族連れが多いように思えた。久しぶりの家族との外食は少し心がはずんだ。

 アメリカから帰国した友人から電話があった。12月の初めに帰国したが、関空では何の検査もなく、自宅に戻ったという。オミクロン株を水際で食い止めるために厳重な検査をしているとニュースで伝えられているのに、どういうことかと思った。アメリカからの帰国者には検査がゆるいのかもしれない。沖縄の米軍基地ではクラスターが起こり、今日もコロナ感染者が31人出たという。沖縄では3人の感染者。この報道の仕方はどう考えてもおかしい。米軍基地は日本ではないというのだろうか。基地では190人近くが感染している。すごい勢いで感染拡大しているのに、アメリカ兵たちが沖縄の町中を歩いている写真がメディアに出ていた。この状況はどうみても異常だ。日本政府は何の手立てもできないというなら、沖縄の人たちをコロナ感染から守ることはできない。日本政府はアメリカに対して何も言えないのか。なさけない。

 数日前、誰かがツイッターで、ケニアの作グギ・ワ・ジオンゴさんが亡くなったと書き、たちまちのうちにニュースが広がった。息子のムコマ・ワ・グギさんが電話で話をして、大笑いとなったとFacebookで伝えていた。ムコマはアメリカのコーネル大学で教えていて、父親のグギさんはカルフォルニア大学のアーバイン校にいる。誰が何の目的でこんなフェイクニュースを流すのか。あまりにも悪意がある。悪ふざけではすまされない。グギさんがお元気なのはなによりだ。