Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

アフリカ文学研究会会誌の目次作り、バラの手入れ、コロナ社会に怒り

 20日(月)昨晩パンを焼こうと思った。強力粉がきれていた。薄力粉は2袋も予備があるのに、強力粉は予備が無くなっていた。夫と散歩がてらに生協まで歩いて行き、帰りはいつものようにバスに乗って帰った。夫から薄力粉と強力粉の違いは何かと聞かれた。強力粉はパンやピザ作りのために使い、グルテンが多いために粘りがでる。薄力粉は天ぷらなどの衣として使う。さらさらしていて、クッキー作りにも使う、と説明。料理作りの中、経験的に違いを知っているだけだが。メリケン粉とはどう違うにかと聞かれた。メリケン粉アメリカから入ってきた小麦粉を一般的に使う言葉で、神戸の港のことをメリケン波止場と呼んだりした。戦後に一般の家庭で普及していたメリケン粉は画期的でクッキーやホットケーキ等の焼き菓子に使われたり、お好み焼きに使われた。最近ではメリケン粉という言葉はあまり聞かない。強力粉か薄力粉を使いわけるだけ。

f:id:mwenge:20211220153659j:plain

 午後からはアフリカ文学研究会の会誌の目次つくりをした。1978年1月から会試を作り初めて、2020年までに45号の会報・会誌を作ってきた。まだまだこれからも作り続けたいが、ともかく1号から45号までを合本にして後輩たちのために残そうと思って作業を進めている。よくぞ40数年も続けてこれたと思う。目次作りをしていると、いろんな人たちの名前を目にして、懐かしんでいる。中にはすでに亡くなられた方たちもいるし、もう交流がなくなった人たちもいる。日本では初めてアフリカ文学を紹介したり、研究したりする人たちが集って、ぼそぼそと発表してきたものだ。それらの集大成を残しておかなければ、消えてしまう。記録は貴重な歴史的産物。その思いで作業を続けている。

 記録は大事だ。自死した赤木俊夫さんが残した記録は、近畿財務局で起こった出来事を忠実に記録するものだった。歴史的証言である。それを無きものにはできないはずだ。もし間違った記録があるならば、それを正せばいい。だが、赤木ファイルについては何も語らず、反論もせず、裁判を強引に終結させた。国は「賠償金を払えばいいのだろう」と酷い対応だ。国民の税金を何の説明もせず、こんな形で使っていいのかと思ってしまう。一番残念に思っているのは、赤木さんの妻雅子さんだろうが、多くの国民も雅子さんと同じ思いだ。

 

21日(火)午後から「おとなの小学校」のバラの手入れにでかけた。葉っぱを全部取り、フェンスに枝をくくっていた紐を全部外して、来年どんなふうに花をさかせたいかをイメージしながら、不要な枝を切りとり、再度誘引しなおした。フェンスに枝をくくりつける作業をした。一度にはできないので、全体の3分の1ほど。ベテランの人たちばかりなので、どんどん作業が進んだ。

 その後、上の孫と京都駅で待ち合わせをし、ヨドバシカメラにApple Watche を買いに行った。23日がお誕生日なので、そのプレゼント。妹がすでにApple Watchを持っているので、私におねだりをしていたが、高価なものなので長いこと保留にしていた。一部は自分で払うというので、交渉が成立して、二人で購入に行った。若い人たちが今のデジタル社会で生きていくためには、流通しているさまざまなデジタル製品の知識を身につけていなければならないのかもしれない。私など高齢者になって、何年も腕時計をしたこともない。家のじっといるので、時計を見なくてもだいたい何時ごろかはわかる。ただ外出するときにだけ、バスの時間に合わせて家を出るために時計をみるぐらいだ。

 21歳になる孫に、社会人になるための心構えを話した。携帯電話やコンピュータやApple Watchに自分のスケジュールを管理してもらうのではなく、「手帳」などの紙媒体で自分のスケジュールや目標などを記録して、全体が見渡せたり、毎日を充実させる日課を立てていくようにと話した。神妙な顔をして聞いていた。私は来年の手帳のリフィルを購入。年々最も薄いものになってゆくが、手帳が無いと落ち着かない。孫にはかわいいノート型の手帳をプレゼントした。

 22日(水)朝からベランダでつるバラの葉っぱを全部取り、誘引し直した。バラの手入れで教わったことを実践してみた。いいお天気だったので、長い時間ベランダで過ごした。来年の春には素敵なバラが咲くことを願った。つるバラの二鉢の誘引と、奥に置いてある赤い薔薇二鉢を半分ほどの高さに剪定した。枝だけになって寒々しいが。

f:id:mwenge:20211222181742j:plain f:id:mwenge:20211222181751j:plain

 午後のニュースで大阪に、海外渡航経験のない一般の家族にオミクロン株の感染があったと報道された。吉村知事は神妙な顔つきで「市中感染」であり、対策強化をはかると言った。私は海外から毎日日本に入ってくる人たちへの対応がいい加減で、国をあげて、懸命に水際対策をしているかのように報道していたが、そうではなかったことがバレただけだと思っている。

 南アフリカナミビアなどアフリカの数カ国やその他いくつかの国から入国する人たちだけが、PCR検査や2週間のホテル留置きなどの処置が取られているが、ヨーロッパやアメリカから入国する人たちに対してはしばらく自宅待機を「お願い」するレベルにすぎない。アフリカから直接日本に入れる航空便は少なく、ナミビアの人たちは、ドイツや他のヨーロッパの国を経由して日本に入ってくる。私は南アフリカに行く際、香港、イギリス、オランダ、フランス、ドイツを経由して行ったことがある。実際に私の友人はつい最近にアメリカから帰国したが、何の検査もなかったという。沖縄では米軍キャンプで集団クラスターが出ていても、そこで働くアメリカ兵の人たちは市内を自由に歩き回っている。こんないい加減な対策では感染が広がっていくことを食い止めることはできない。いずれ近いうちに、第6波がくるだろうと誰もが思っている。

 アメリカから帰国した友人から三度目の電話があった。大学時代からの友人たちと会いたいという。彼女はアメリカから帰国してもう2週間も経ったので、大丈夫だという。私はそういうことではないと説明し、私自身は、まだ気分的に京都以外に外出したくないことや、他の友人たちもそれぞれの事情を抱えていることなどを説明した。電話でなら、いくらでも話せるし、Facebookやブログでもそれぞれの様子はわかるが・・・と。対面のコミュニケーションが大きく失われた社会にひどく腹立たしいが、コロナに怒りをぶつけても何の役にもたたない。