Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

9月28日 メンケル独首相引退に。

 ドイツのメルケル首相が16年間の任期を終えて、首相の座を降りる。この16年間汚職も不正も疑惑もまったくないと言われる。私はドイツの政治にくわしくないが、メルケル氏が在任中にはまったくの政治疑惑がないのはそれだけでもすばらしい。権力を悪用するどころか、国民にとってなにが重要かを考えたという。コロナ感染症が世界中で起こり始めていた頃、コロナで生活が脅かされている人にはすぐさまに補償金を出したという。日本ではわずか10万円を配布するだけでも、何ヶ月もかかり、かなり遅れて入金されたので、本当に大変だった人には救済にもならなかった。

 メルケル首相は引退を前にして、「フェミニストである」と語った。「今日、私はこの質問にイエスと答え、自分はフェミニストだと言える。あの頃は、答えるのを恥ずかしがっていたが、今日、私は『イエス』と言える。私たちは皆、フェミニストであるべきだ」。

 アフリカ人作家でフェミニストのチママンダ・ンゴズィ・アディーチェとの対談で、メンケル首相はこう語った。「基本的にフェミニズムとは男性と女性が社会参加と生活全般において平等であること。その意味で私はこう言える。『そう、私はフェミニストだ』と」。これまでそう言わなかったことについて、「私は自分をフェミニストだと称することに少し慎重だった。でも今はより深く考え抜いた結果、こう言える。私たちはみんなフェミニストであるべきだ(We should all be feminists)」。「私たちみんなフェミニストであるべき」はチママンダがずっと主張していることだ。その言葉をメルケル首相は強調している。胸をはって自分の信念を主張している。

 だが、日本の政治はどうか。安倍・菅・麻生体制のなかで、「黒を白といい」「男性中心の権力構造を築き」「反フェミニスト的態度」で「国粋主義に根差した国家観」を主張し、国家権力を我がもの顔にしてきた。自民党総裁選挙が近づいてくると、その立候補者もこうした安倍・菅・麻生体制に批判の目を向けようともしないで、「忖度」の政治を繰り返そうとする。メンケル独首相とは大いに違う。