Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

9月27日 日本のマスコミとコメンテータの無責任さ

 朝から小室圭さんと秋篠宮家の真子さんとの結婚に関する報道はあまりにもひどい。日本人全員の賛成をもって、お二人の結婚が認められるというのだろうか。お二人が決めたことが、許せないのだろうか。真子さんは相当の覚悟をして、宮内庁から1億5千万円の受け取りを拒否したが、それは当然と言わんばかり。また受け取ったとするなら、そのお金は小室圭さんの母親のところに行くのではないかと、あまりにも人を馬鹿にしたコメントが電波を通して流す神経にあきれる。真子さんの一人の人間としての決断に対して、国民が許さなという構図を作り上げるのは間違っている。「国民」という言葉を借りて、あまりもひどい情報をメディアは流す。どこに行っても「二人が普通に暮らす」ことを認めないというのだろうか。ニューヨークは物価は高いとか、家賃は80万円もするとか、仕事もアメリカは競争社会だから、深夜まで働かないと生き抜けないとか、いらんお世話だと思う。今日のバイキング(8チャンネル)に出演していたコメンテータの清原博弁護士は、無責任で、お節介なコメントは小室さんを蔑む態度がありありとしていて、聞くにたえなかった。お二人へのやっかみが感じられた。

 ニューヨークを発つ小室圭さんが、無言であったことを捉えて、「人間としてどうかと思う」という。そうだろうか。何か言えば、それを捉えて、ああだこうだとマスコミいは勝手なことをいう。小室さんが歩いているすぐ横からマイクを突き出して、質問をしつづけるマスコミに怒りのようなものを感じた。皇室と関わったために、一人の人間のプライバシーは許さないというのだろうか。そして就職先のホームページに掲載されているメールアドレスに嫌がらせや、迷惑メールが届くだろうと、あたかもそうしたことを煽るような情報を伝えるマスコミはいかがなものか。真剣に生きようとする若い二人の人生を暖かく見守ることはできないのか。「国民」の知りたいことと前提におき、プライバシーの侵害となるようなことを、まことしとやかに土足で人の人生にずかずかと踏み込むやり方には嫌悪感を覚える。本当にいやな社会になった。

 朝の9時半から北大路まで散歩にでた。約30分ほど。京都は「緊急事態宣言」下にあるので、府立植物園は残念ながら閉鎖中で、朝の散歩コースにはなかった。北大路のスーパマーケットで買い物をして、帰路はバスで帰った。今日の散歩は、外気にゆっくりとふれながら、のんびりと歩けたので、心身ともによかった。

 お昼からは机の周りを片付けた。ここ数ヶ月の間に使わなかったものは不要品だと思うので、どんどん捨てることにした。本棚の中のものも、整理整頓するだけでスペースができた。不要になった郵便物もどんどん処分することに。まだまだごたごたしていて、すっきりしないが。

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