Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

4月14日 植物園とカーブス

恐ろしくなるほど、あっという間に時間がすぎていく。12日月曜日は何をしたのだろうか。お昼からはフランス語の勉強をした。条件法現在について学んだ。英語でいう仮定法現在。英語のように助動詞がなく、人称によって動詞の語尾が変化する。その変化を覚えるしかない。日仏会館のフランス語の講座に通っていたときにはすでに習っていたのに、きちんと認識できていなかった。フランス語には直接法は8時制があり、人称によって動詞の語尾が変化する。条件法には2つの時制があり、接続法には4つの時制がある。フランス語の話者はこんなややっこしいことを簡単に理解している。

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 汕頭のハンカチで夏用のマスクを作った。レースが綺麗ので、とても楽しく身につけられそう。中にワイヤーの入った不織綿のマスクを入れたので鼻を覆う部分がしっかりして顔にぴったり。うまく作れた。

 

 

 13日(火)午後から「バラの教室」にでかけた。芽かきや側蕾の取り方について学んだ。花を大きく咲かせるために、不要な蕾をとる必要がある。一年中を通して、バラを育てるためには、肥料をやったり、葉っぱを取ったり、芽かきをしたりしなければならない。病気との闘いもある。結構手がかかるが、その分バラは美しく花を咲かせてくれるので、楽しい。

 我が家のベランダのバラは蕾をつけ始めた。昨年に植えたものはまだまだひ弱だが、新しい葉っぱをつけ始めた。モッコウバラは花が咲き始めた。

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バラの教室に参加している人と話し込んでしまった。特に何という話をしたわけではないが、その方がご自分の人生の物語を語り始めた。いまはお一人で暮らしておられるので、話相手が欲しかったのだと思う。こんなコロナ禍のなかで、一人で暮らすことがどれほど大変かはわかるような気がする。コロナが私たちの生活から奪い取ったのは、なんと言っても、人との交流。対話のしかたも変わった。声をださない対話が主流になっていくのか?

 夜にオランダで暮らす南アフリカ出身の友人から電話がかかった。彼女の夫もともにアフリカ文学会のメンバーなので、長年の友人。5月に開催されるアフリカ文学会の件で。ここ何年も彼女と一緒のパネルで南アフリカの文学について発表してきた。昨年はワシントンDCでアフリカ文学会が開催される予定だったが、キャンセルになった。今年はオンラインで開催されることになった。ひと所に世界中から集まることはない。オンラインでいくつものパネルが開催されることになる。アメリカとの時差が13時間位あるので、現実的には日本は真夜中なので、ちょっと辛い面があるが。。。何とかやってみようと思う。

 大阪のコロナ感染者数が1000人を超えた。昨日は1099人。これは数字が間違っていたと今日報道があった。記入漏れとか。今日は1130人。感染拡大で、歯止めがきかない。病床が足らなくなったと吉村知事は叫んでいるが、他の病床へのしわ寄せがすすんでいる。こんなことはすでに1年前からわかっていたのに、なぜその対応ができていないのか、不思議だ。維新の会がそうした医療体制を作ってきたつけが、今きている。1年前に橋下徹氏は反省の弁をとっていた。

 14日(水)朝の散歩に出た。植物園の中を歩いた。保育園や幼稚園の子供たちが大勢きていた。安心して遊ばせる場所だ。芍薬や牡丹が豪華に咲いていた。ニュートンのリンゴの木にきれいな花がいっぱいついていた。桜よりは大きい花びらで、華やか。先日ニュートンのリンゴの木が校庭にある学校がテレビで紹介されていた。

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いつものとおり、筋トレジム・カーブスに寄った。少し蜜状態になっていて、立ち話に花を咲かせているのが気になったが、誰もが人恋しい気持ちなんだ。

 ここずっとテレビ番組では秋篠宮家の真子さんの婚約者小室圭さんのことでもちっきり。「国民の理解」とは?「国民」が納得する必要があると。何を納得するのか。金銭問題?不釣り合いの「身分」?皇室は国民のもの?とてもいやな議論がなされている。「国民」にその権利があるのか?いやな議論だけが面白おかしく飛び交っている。