Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

大原の朝市 お正月の準備がはじまる 「報道1930」で平成天皇の「戦争」を考える

25日(日)友人と朝の6時過ぎにラインで「大原の朝市」にでかけるかを相談。小雨だが雪ではない。昨日は雪が一面に積もり、車での運転は難しい。雨なら道は凍っていないので、朝6時半に出発することに。年末最後の朝市なので、お正月用のお花を購入したかった。松と菊と千両の定番。菊は新種で、名前を聞いたが忘れてしまった。海老芋、小芋、赤人参、大根、白菜、じゃがいも、聖護院カブラなど、重たいものばかり購入。先日購入したカブラがとても美味しく、千枚漬けをつくった。みずみずしくて久しぶりにおいしい千枚漬けができた。農家さんが、今年初めて挑戦してつくったそうだ。無農薬で大原の水にあった野菜は新鮮でおいしい。

 千枚漬けを作った。準備に一手間かかるだけで、あとは手間なしで毎日美味しくいただける。野菜を切っているときも楽しい。牛蒡があったので、ニンジンとごま油で炒めて、生姜を刻んで甘辛く炊いた。箸休めにいいので、瓶詰めにして冷蔵庫に。

 正月用のお節料理の材料を少し早いが午後に買いにでた。日曜日でもあるので、大勢の人が買い物にきていた。ショッピングセンターは、バスターミナルでもあるので、大きなキャリバックを持った人たちも入り混じっていた。コロナ感染は京都市内で2000人近くになっているが、それでも多くの人は出かけなければならない用事をいっぱい抱えている。冬休みに入った人たちは、実家に帰省をはじめたようだ。もう二三日もすれば、大勢の人たちの大移動がはじまる。

 昨年まではPCR検査の証明書や、自粛を要請された。すでにコロナ感染症第8波が拡大しているのに、政府は何も言わない。何か発言をすれば責任をとらなければならないから、ダンマリを決め込んでいるのだろうか。安倍氏国葬」、防衛費、原発政策の方向転換、学術会議会員の政府任命権、「統一教会」と関係する自民党議員の放置、等など、これまでにない強権発動の岸田内閣を誰も認めていない。国会軽視し、選挙公約にないことを勝手にやって行っていいのか。

 「報道1930」を観た。”先帝はなぜ戦争を止められなかったのか”と平成の天皇との知られざる御所懇談がテーマだった。保坂正康さんは、半藤一利さんに誘われて上皇上皇后と6回雑談をされたという。口外すべきではないと考えていたが、半藤さんや多くの歴史学者や戦前や戦後の戦争をみてきた人たちが亡くなるなかで、保坂さんが体験したことを記録して残そうと思ったという。平成時代に天皇と皇后に6度お会いしたという。天皇からの質問は、「先帝はなぜ戦争をとめられなかったのか」という。上皇天皇だった期間に戦争が起こらなかったことが、なによりの安堵だったと、退位のときの言葉で明らかだったが、「報道1930」に出演した保坂さんは強調されていた。「天皇」の名のもとで起こった戦争への「後悔」があったのだろう。そして戦後に「二度と戦争を起こさない国」を誓った。現在は、それを誰の権限で「戦争」への道を歩み出していいのだろうか。自民党はなぜ「戦争」をしたいのだろうか。「何のために」、「誰のために」戦争をするのだろうか。

習字、フランス語学習、詩人片桐ユズルさんのお誕生日会に 岸田政権の「原発政策」転換は?

20日(火)お習字の教室にでかけた。千字文の半分は超えたと思う。「九州禹跡 百郡秦并 (キュウシュウウセキ ヒャクグンシンヘイ)」の後半部を書いた。意味は、「禹(う)が中国を九州に分け、秦が百郡を併合し天下を統一した。」中国で使われている漢字で、日本語とはすこし形が異なる。筆の先の使い方がなかなか難しく、思うように筆が動かない。だからお習字は面白いのかもしれない。

 23日(金)午前中は、フランス文学作品”Pourquoi le ciel est bleu"の読書会。第10章を読んだ。担当分があった。主人公の母親が夫を亡くし、新しい環境のもとで仕事につき、幼子を育てていこうとする状況が語られていた。今後の展開が楽しみ。知らない単語がいっぱいでてくるので、辞書を頼りに少しづつ読み進むしかない。こういう作業を通じて、フランス語が理解できるようになると信じて、コツコツと読んでいる。

 午後からは京都外大のフランス語の授業に。聞き取りと暗唱。3人のグループで暗唱を確認しあう。それぞれが懸命に暗唱する姿は、真剣で真面目そのもの。こうした緊張感がとても刺激的でいい。聞き取りはなかなか難しい。大きな関門だが、慣れるしかない。

 24日(土)午後からは92歳になる詩人の片桐ユズルさんの誕生日パーティにでた。ユズルさんは、1959年から1960年にかけてサンフランス州立大学に留学中にボブ・ディランの全詩集を中山容さんと共訳するなど、60年代、70年代に関西フォーク運動と関わり、詩人として活躍してきた人。90年代にはアレクサンダー・テクニークにもとづく心身技法を広めてきた人。頭ー首ー背中の関係に注目して、呼吸法の改善、発声法などもとりいれて、心と体とを融合させて、心身の健康を取り戻すことをやってこられた。ユズルさんの影響を受けた多くの人たちが集ったクリスマスをかねた「お誕生日」会だった。終始にこやかで穏やかなお姿を拝見しながら、とても嬉しい気持ちになった。久しぶりに多くの人たちと出会ったのも嬉しかった。

 岸田政権は、「原子力発電所」の建て替えを含め、原発政策の転換を測ろうとしている。防衛に関してもそうだが、原発政策の原則を破って、再稼働や廃炉に関してもこれまでの方針を大幅に転換した。国民に問うこともなく、国会で議論することもなく、どんなどことでも、閣議で決められると考えているようだが、国会軽視も甚だしい。「丁寧な説明をして理解をえたい」とは口先だけで、「丁寧な説明」という言葉しか存在しない。「説明」といいながら、中身がなく、まったく説明しない。安倍元首相の「国葬」におよそ12億円も支出したようだ。当初の予算より大幅に増えている。オリンピック、パラリンピックの開催費用もそうだが、なぜ当初の予算通りに行わないのか。なぜ費用が膨大になっても、だれも止めたり、費用を抑えようとはしないのか。どんな企業でも自治体でも、そんなことは許されない。

 朝は寒かった。冬一番の雪。

 

冬至に南瓜 マイナンバーカード、「羽鳥モーニングショー」はどうなったの?

 22日は冬至。一年のうち夜が一番長くなり、太陽があたる日中が一番短くなる。「水彩画教室」の先生は、二十四節気で季節を感じておられ、私たちにもいまは「冬至」と語られた。春分とか秋分とか、大寒立春立秋啓蟄などは知っていたが、一年を二十四の季節に分けた呼び方だとは気づかないでいた。季節をしっかり身体に感じながら暮らす目安にしようと思った。母の誕生日だったので、冬至にはゆず湯に入り、南瓜を食べていたように思う。南瓜は栄養価が高い野菜で、健康を維持するための生活の知恵だったのかと改めて思った。

 マイナンバーカードを作らない人に対してさまざまなペナルティーを科しはじめた。登録した人には2万円の謝金を払い、登録しない人には保険料の診察料を6円余分に科すという。保険証が紙のものか、カードの違いによって診察料を変えるのはあまりにもひどい処置だと思う。これは明らかな差別と罰金のような制度で、社会的不平等の扱いではないかと思う。国は勝手にマイナンバーを個人に対してつけておいて、カードを持たない人と持つ人とを差別するのは、何なのか。マイナンバーカードを国が発行すればいい。カードも生涯使えるものではない。何年かに一度は更新しなければならない。クレディット・カードでは3年から5、6年で、絶えず更新される。マイナンバーカードは何に使えるのか、明確ではない。日常生活に本当に必要かどうかだ。役所の手続きのためだけなら、そんなに必要だろうか。役所の仕事をすべてデジタル化して、人手をなくすので、マイナンバーカードを所持してくださいというのなら、手続き上の問題かと思うが、そうでないのなら、どうして必要なのかを国民に説明する必要があるのではないか。

 オリンピック・パラリンピックの総支出額が明らかになった。でたらめな、莫大な費用が勝手に支出されていた。それと同じく、莫大な「防衛費」が予算化されている。なんでも政府が勝手に決められるということが恐ろしい。国会の機能は何なのか。誰も何も言えない社会へ踏み出しはじめた。恐ろしさを感じる。6円ぐらいの話ではない。

 羽鳥モーニングショーで、高級冷凍食品が紹介され、レストランの味を味わえるというものだった。ロールキャベツが一つ1500円強や、かにクロケットなどが紹介されていた。このコロナ禍でレストラン側の苦肉の策で売っているのはわかるが、4人家族で6000円以上もする食材を購入できる層は非常に少ないと思う。無神経な番組作りに嫌気がさした。朝の番組を観ている人たちは、比較的経済的に余裕がある人たちかもしれない。なんだか、日本の経済状況や政治状況から遠ざけるような番組作りをするメディアの感性に怒りのようなものを感じた。どの料理番組でも、季節の野菜を使って、安く美味しく、簡単に作ることを教えてくれる。嬉しくなる、作ってみたくなる、そんな番組が多いのに、「羽鳥モーニングショー」はどうなってしまったのか。番組冒頭の猫や犬や動物たちの「癒し」を見せつけられるのもいやだ。

水彩画教室で南京を描く ワールドカップ戦アルゼンチン優勝 ムバッペのシュート デジタル庁?

 19日(月)午後から「おとなの小学校」で「水彩画を描く」の教室にでかけた。参加者4名。今日は南京を描いた。Wet in Wetのやり方で色を塗った。黄色を塗ったあと、まだ乾いていない間に緑の色を落とすように塗るとその水滴が下の黄色の上に広がっていく。不思議な色が画用紙の上にでてくる。マジックのようだ。まだ陰影はうまく描けない。立体物を描くには大事なことだが。

 アルゼンチンとフランスの決勝戦を夜中の12時から3時までみた。前半戦でアルゼンチンが2点とり、後半戦始まった直後にフランスが2点とった。すごかった。延長戦でアルゼンチンが1点とると、フランスも負けずに1点とった。アルゼンチンのメッシーと、フランスのエンバペがそれぞれ1点づつとり、PK戦となった。結果はアルゼンチンの36年ぶりの優勝。フランスはPK戦で2点を失った。これはもう運としかいいようのない勝敗の決め方だ。今回のワールドカップでは、何回もPK戦を見てきたが、運としかいいようがない。フランス側の応援団にフランスの大統領エマニエル・マクロンの姿が何回も写っていた。試合前には大統領が選手たちを激励する姿がネットででていた。最近はフランス贔屓になっているので、大統領までカッコよくみえる。極右翼のル・ペン氏から大統領戦でなんとか逃げ切ったが、ウクライナ問題、燃料問題、物価高騰、コロナ、移民の問題、いろいろ抱えながらも、真摯に向き合っている姿がいい。エンバペのゴールを決めた姿は格好良かった。

 それにしてもフランスのサッカーチームを支えているのが、アフリカ出身の選手が多いことには驚かない。フランスは植民地支配の時代から、イギリスとは違って、同化政策をとってきた。アフリカのフランス領の国々の国民にフランス国籍を与えて、間接支配をしてきた。エンバペは、父親がカメルーン出身で、母親はアルジェリア出身のフランス人。ファミリーネームは、父親の姓だが、フランスで育った彼はフランス語で読むのが普通だと思うので、名前は「ムバッペ」に近いと思う。なぜか日本では、M や Nが名前の冒頭にくると、「エム」とか「エン」とか呼びたがる。本人がどう呼んでいるかを尊重しないといけないと思うのだが、私のアフリカ人友人の中には、「めんどくさいので、どうでもいい」という人もいる。だが、日本では、アフリカ人に限っては、日本人がかってに表記しているように思う。一度、南アフリカの作家を私が間違って表記したことがある。彼女の出身言語を正しく学んだあと、本人にも確認して、訂正した。だが、最初に出てしまった呼び名が定着して、私の間違いを指摘されたことがあった。私は丁寧に説明をして、新しい表記に変えたことがある。最初に紹介する人が、どれだけその人の名前の発音を忠実に表記するかが問われている。「エンバペ」も気になる名前の一つ。日本のジャーナリストたちは、名前の最初にMとあるのだから、「エム」と呼べばいいというのは、あまりにも幼稚な話だ。中国人の名前は漢字を日本語読みしているが、正しくは中国読みを尊重すべきだが、なかなかそこに至らないのはなぜだろうか。「ショピンとは、俺のことかとショパンいい」

 日本のあちこちで大雪が降り、交通渋滞が起こっている。日曜日には新幹線の電線に異常が起こり、東京ー大阪間で何時間も電車がストップして、大混乱が起こった。電気に依存する日本社会は、電気送電に不具合が起こるとすぐに社会が大混乱する。デジタル化社会だけに、大雪地域や新幹線エリアだけではなく、日本社会全体にまで混乱が普及していく。他人ごとではない。先日もテレビ番組では河野太郎デジタル大臣が民間放送の特番に登場して、いかにデジタル庁がこれまでの既成概念をすてて、独自の働き方を紹介していた。壁の色は白ではなくカラフル、机の上には山積みの書類はなし。コンピュータのみ。自由な机の配置。などなど。デジタル庁では、主にデジタル技術者が2〜3日働いで、あとの2〜3日は自身が勤務する会社で働くという、異例な働き方が紹介。なんのことはない、独自のデジタル庁職員が責任をもって全チームとして働く形態をとらないで、他所の会社の技術者を借りて成立している庁だと思った。無責任な省庁。まず電気障害が起こったら、ストップするようなシステムではいけない。そこをどうするのか。それが示されない限り、マイナンバーカード化も机上の空論になる。突然大災害が起こり、マイナンバーカードがなければ、病院での手当ても受けられない、何も購入できないとなるかもしれない。

 イーロン・マスク氏はツイッターのCOEを辞任すべきかどうかツイッターで問うたという。辞任すべきが過半数を超えたという。マスク氏は自らの姿勢を自らで決められない、決めないというずるいやり方には怒りを覚える。自分ではどうすべきかが決まっているのに、「誰かに決められた」とでもいいたいのだろうか。無責任きわまりない。

フランス語の勉強 バラが咲き続けている コロナ感染はどうなる? イーロン・マスク氏?

金曜日の午前中は、フランス小説『なぜ空は青いのか』をオンラインで読んでいる。参加者は7人だった。一番に担当が当たっていたので、やってしまえば気楽に参加できた。9月から参加させてもらっているので、ようやく皆さんのリズムについていけるようになった。オンラインの強みは転居して関東に移られた人も、これまでと同じように参加できるよさがある。私が担当した部分の話はこう。「夫をなくした女性マデレーヌが4歳の子供(五番目の子供)を抱えて、途方にくれていたが、ひょんなことで別の場所で仕事口を見つけた。元々の地主からひどい扱いを受け、家具や家畜を取り上げられる。だが、彼女は知主とも毅然と向き合って、「明日、ラ・ルシの城の方に出て行きます」と宣言する。」教会の牧師さんが間に入って、家具の返還などを交渉するが、地主は耳をかさない。マデレーヌは、無一文で着の身着のままで新しい生活がはじまる。

 少しづつだが、長編小説の5分の1まで読み進んだ。グループで読んでいるので、背中を押されて、進んでいく。午後3時半からは京都外大のフランス語の授業にでた。グループ分けして暗唱をしあう。声を出し、音を聞き取る作業は語学学習の基本。生涯教育講座なので、多くが定年退職後の挑戦で、学ぶことを楽しんでいるようにみえる。

 「おとなの小学校」で「バラのお手入れ」で、2週間前に垣根の半分のバラの葉っぱを全部取り除き、蔓をはわした。家のバラもそうしたいのだが、まだまだバラが咲いている。1月になってから、休眠させる作業にはいってもいいかもしれない。

  

 今日は、全国でコロナ感染者数が15万8809人になった。京都でも増えている。政府は何の処置もしない。コロナをインフルエンザと同等とみなしていこうとするのだろうか。それならば、科学的根拠のある説明が必要ではないのか。ワクチン頼りなのか。ワクチンをうったことが原因で死亡している人たちが大勢いるが、その因果関係をうやむやにしている。世界のあちこちでワクチン製薬会社を訴えているケースがあるそうだが。政府はコロナのことを忘れて、防衛費の捻出にやっきになっている。国民を置き去りにした政治って何だろうか。

 イーロン・マスク氏は、ツイッター社を買収して、社員の半分以上を首にしたり、トランプ前大統領の凍結したツイッター・アカウントを解除したり、アメリカのメディアの記者のアカウントを凍結したり、不穏な動きをしている。お金の力で最大の影響力をもつツイッター社を意のままにあやつるマスク氏は何を考えているのだろうか。

 

ガスレンジの交換、大掃除 ルームシューズ を作る 防衛費はどこから?

 12月もあと残り半分となった。あっという間の一年だった。12月の初めにガスレンジがうまく点火しなくなったので、買い換えることにした。14日に設置にきてくれることになっていた。10日にオーブンレンジもダメになった。どちらも20年使ったので、買換え時期になっていた。大急ぎで大阪ガスに連絡をすると、なんとか14日にコンロとオーブンを交換できることになった。ガスコンロも、電子レンジもオーブンもよく使うので、一層料理が楽しくなる。機能が進化していて、なかなか使い勝手がいい。これまでお魚を焼くところが、タイマーや温度設定やプレートメニューがついていて、何かと便利だ。これまでは魚を焼く時には、じっと横についていて、ひっくり返したりしないといけなかった。網で魚を焼く時には、網の下からも、上からも火が入るような仕掛けになっているので、両面同時に焼け、しかもタイマーがついているので、黒こげになることはない。料理のレパートリーが広がり、楽しく料理が出来そうで嬉しい。なによりも掃除が便利なのがいい。

 ついでにレンジまわりの棚の中を整理した。いらないものを詰め込んでいたので、全部をとりだし、使うものと使わないものを分けた。一目みて、何が入っているかがわかるようにしたのと、使わないものを処分することに。断捨離がつづいている。これまで使わなかったものは、今後も使わないとおもうので、思い切って処分できる。昔はさまざまな機会にお鍋をもらうことが多かった。よく考えてみると、私は好きなお鍋しか使わない。大中小のお鍋5つとフライパン2つと卵焼き機だけしか使っていないので、その他のお鍋は棚の奥にしまっておくことに。

 カシミアの毛糸の服がどうしても処分できないでいた。いったんゴミ袋に入れ、処分を決めたが、いつまでも部屋の隅っこにいた。去年は湯たんぽのカバーや座布団カバーを作った。カシミアは軽くて暖かいので、ルームシューズ を作ることにした。とても暖かくて歩きやすいものができた。

 

 自民党が議論している防衛費の捻出について、毎日報道されている。歳出の中身がまったく議論されないまま、捻出のみの議論が問題だと指摘。「国民が自らの責任として」増税にかかわるべきとしたことも問題になり、大慌てでそれをかき消そうとする。「国民」を「われわれ」に変えたが、同じことだ。復興税から防衛費を捻出しようとする姿勢そのものも大きな勘違いだ。本質的には復興税は国民も納得して捻出に協力している。まだ完全に復興が終わったわけではないのに、そこに食い込んでいくのは被災地や被災者の人たちに対して失礼だ。財源の見通しも試案もなく、膨大な防衛費の予算化を決めてしまった政府の無責任なやり方が問題だ。

菊の花 レモンを描く 吉村大阪府知事からの贈り物は米? 防衛費の財源は?

 日曜の朝は、大原の朝市にでかけることから始まる。早朝の空気がピーンと張り詰めていて、気持ちがいい。お花屋さんがきていたので、小菊をたくさん購入した。バラの実の木がまだ生き生きしているので、トルコキキョウを小菊と入れ替えた。他にもあちこちの花瓶に菊をさした。菊はいまでは年中咲いているし、もっとも普通の花だが、どんな花木ともあう。気持ちをほっとさせてくれる花のひとつ。

 先週購入した海老芋があまりにも美味しかったので、今週も購入。ほかにカボチャやニンジンも。これらを乱切りにして鶏肉と一緒に甘辛く炊いてみた。結構美味しくできた。根菜野菜が本当に美味しいと感じられるような年齢になった。子供の頃はあまり好きではなかった野菜が美味しくなった。

 土曜日には午後から「スケッチ教室」にでかけた。レモンを見ながらスケッチをして、彩色した。水彩画の基本はできるだけ透明感がでるような色の作りかたが一番重要。基本的には色は自分でつくるものなので、どの色とどの色を混ぜれば、どんな色になるかを学ぶ。

 色を作るところから学ぶ。色を変えることで立体感がでてくる。厚みやシワやくぼみなどを作りだすことができる。なかなか面白い作業だが、そう簡単には色は作れないし、立体感も出せない。今日の「スケッチ教室」に参加していた人は、私よりも古くから初めておられ、とても上手だが、同じ素材を描いていても、全員がそれぞれに異なる。色使いも違っている。それが個性なのだと思った。どれが良くて、どれが悪いというのがないのが、とてもいい。基本は学ぶところから始まる。なによりも楽しいのが一番。

 一日が過ぎるのが早い。朝は、朝ごはん(ほぼパン食)を食べて、洗濯物を干す。しばらくベランダの植物の世話をしていると、10時のコーヒタイムになる。それから台所の洗い物をして、片付ける。掃除が済むと、やっと机の前に座り、メールチェックをする。さらにFacebookなども眺めていると、12時になってしまう。お昼ごはんの準備をして、食べると1時前になる。1時から「徹子の部屋」を観る。黒柳徹子さんのテンポの早い質問に、ゲストが応えながらの対話が面白い。さまざまな生き方があり、その頃私自身はどうだったかと自問することもある。ほんの数時間が自由時間となる。縫いものをしたり、編み物をしたり、フランス語小説を読んだり、ピアノを弾いたり、やりたいことはいっぱいある。カーブスに筋トレに行くことも。時間があっという間に過ぎてしまう。

 大阪府吉村知事が18歳以下の140万人にお米10キロを配ると発表した。デジタルクーポンで配ることになったという。現金だと親が使ってしまう可能性を考え、お米ということになったという。本当に必要な人に必要な経済支援になるのだろうか。人気取りの施策のような気がする。

 岸田首相が突然言い出した防衛費の増額と、その財源については、自民党内でも反対がでているという。高市早苗氏ですら防衛費の財源について、岸田首相と対立した意見を述べた。岸田首相への支持率が下がり続けるなか、どさくさに紛れて防衛費を持ち出し、いろんな反対があることも承知で強引に押し進めている。その中で自民党の中にも反対意見があることを承知していると意思表示だけして、先にドンドン推し進めていこうとしているのだろうか。なにも信用できない。自民党内に反対意見をださせて、野党や国民の反対の声をかき消そうというのか。なにか芝居じみた駆け引きのような気がしてくる。茶番劇はいいかげんにやめてほしい。