Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

リメークした携帯電話入れ フランス語の授業に 防衛費の財源はどこに?

 もう20年ほど前に南アフリカで購入した携帯電話入れをリメイクした。当時南アフリカの携帯電話は小型でノキア製のものだった。ノキアの市場は世界的規模を誇っていたので、ケニアジンバブエボツワナに出かけても、シムカードを差し替えるだけで使用できた。南アフリカではワニ皮のとてもかわいい携帯電話入れを購入し、腰ベルトに通して使っていた。日本の携帯電話は一時期小さかったが、いまではどんどん大きな型になり、文字も見やすくなった。ワニ皮のお気に入りの携帯電話入れは、使うことなく、長い間引き出しの中に眠っていた。ゴミとして処分できないので、縫い目を全部解いて、平らな一枚にして、別布を縫い付けて携帯電話入れを作りなおした。ちょっとおしゃれな袋ができた。皮製品は蒸気を吹きかけて、アイロンをかけると、曲がっていた部分は平らになった。柔軟性があり、ミシンがけも簡単だった。

 午後3時半からフランス語の授業(京都外大の生涯教育)にでかけた。tout, toute, tous, toutesの違いを学んだ。英語ではallにあたるが、フランス語は、男性、女性、単数、複数の区別がある。そしてtousの場合でも、語尾のsを読む場合と、読まない場合があり、複雑。練習問題20問をやった。慣れること、繰り返し学ぶことしかない。グループで役割分担をして、短文を暗唱するための読み合わせをした。私はいつも最前列に座っているので、後ろの席に座っている人たちのことはよく知らない。だが、くじ引きでグループ組み合わせが決まり、毎回違う人と一緒に学びあうのは、楽しい。

 防衛費のことが国会で議論になっている。自民党は具体的な財源も考えずに防衛費・軍事費の増額を決めた。財源をどこから搾り出すかはこれから議論するようだが、高齢者からも徴収するそうだ。自民党内からも予算案はでたものの、その財源を決めていないのが問題だと批判がでている。あまりにも将来構想もなく、戦争挑発を煽るような予算の立て方ではないか。中国外務省でさえも、「日本の防衛費は10年連続で増加している。地域の緊張感をあおり、非常に危険だ」と激しく批判している。岸田首相は、年末までに財源確保の具体的な内容を決めていくと今日発言しているが、自民党内からは拙速すぎると、批判もでている。

定期預金の利率の低さ、バラの手入れ お習字のおけいこ

 二週間に一度のバラのお手入れと、お習字のお稽古。バラのお手入れに出かける前に銀行に寄った。前に住んでいた家の近くにある銀行で、バラのお手入れをする場所もすぐのところ。銀行の出し入れは、だいたいATMで済ませるので、銀行に行く用事はほとんどない。すこし定期預金で預けていたものが満期になったので、手続きが必要になった。利息はほんの微々たるもので、利率が0.002。高齢者に限って100万円までを定期預金すると、利率が0.152になるという。ほんのわずかな利率だが、0.002よりはましだ。その手続きのために、およそ50分もかかった。なんと時間の無駄だと思った。それほどお客さんはいなかったのだが。事務仕事をしている人たちをみていると、10人ほどが女性で、ほぼ全員が20代で数人が年長者(それでも30歳代)。男性は一人だった。典型的な「女性の職場」という感じがした。すべての処理はデジタル化しているのに関わらず、何重にもチェックが入り、時間がかかる。なんとかならないかと思ったのと、高齢者には知らされない情報がたくさんある。しかも普通定期よりもいい利率の預金を、なぜ高齢者向けなのかと思った。日本全体の経済が疲弊しているが、そのしわ寄せが高齢者にきている。社会保険料(健康保険料、介護保険料)などの支払い額が増え続け、医療費の値上げもある。とても快適な生活が送れるわけでもなく、不安な生活が待ち受けているのかと思うと、気がめいった。

 ちょうどテレビ番組では、「出産育児一時金」引き揚げを政府が発表したというが、その財源は75歳以上からもその財源を捻出するという。若い人たちも、50万円の一時金を受け取れるからと言って、安心して子供を産み、子育てに向かえないと不安を示していた。大学までの教育費を無償にするなど、別の「子育て支援」はないのか、一時金だけでは、出産への覚悟ができないと若い人は言っていた。若い人にとっても、高齢者にとっても、安心して暮らせる社会ではなくなってきた。防衛費は異常に膨らませている。そんな予算は本当に必要なのだろうか。

 「バラのお手入れ」はかなり遅れて参加した。全体の半分ほどのバラの葉っぱをとりいそぎ、春にむけて花がどう咲くかを想像しながら、延びた枝を誘引していった。脚立に乗って高いところを紐で止める人は、高いところは好きだと言う。私は絶対にできない。めまいがしそうだし、高いところでは身体のバランスもとれない。下から紐を渡す役を引き受ける。バラはこれから休眠期に入るので、エネルギーを要するものはすべて取り払っておくと、春には葉っぱと花が一気に出てくる。いつもよりも40分近く長く作業をつづけた。大急ぎでお習字の教室へ移動。

 「九州兎跡 百都秦井」(キュウシュウウセキ ヒャクグンシンヘイ)の前半部を書いた。意味は、「兎が中国を9つの州にわけた。」州という字はなかなか面白いと思った。国語で漢字の勉強をしたが、意味を考えることなく、形を学んだように思った。

 千字文のおよそ半分を超えたあたりを書いている。千字文を書き終えるまでに、まだ5年以上はかかるだろう。漢字に興味を持ち続けることが、一番大事なことで、最後までやり遂げたい。

大原の朝市 貴船神社 ソファーの修理 保育園での出来事は?

 日曜日早朝、大原朝市に行く。6時半出発。ちょうど日の出の時刻。うっすらと空が赤くなりはじめて、刻々変わる空の色が美しい。お花屋さんがお休みだったので残念。菊の花を買おうと思っていたのに。人参や菊菜、海老芋などを購入。手作りの薄揚げはとても美味しい。入れたてのコーヒ(200円)は、爽やかな空気のなかでいただくと、とてもおいしく感じる。海老芋は薄揚げと炊き合わせた。和食がほっとする年齢になってきた。

 帰路、貴船神社によった。紅葉はすでに峠をこして、落下した葉っぱで彩られたカーペットになっていた。とても静寂で人気のない早朝の貴船は厳かな気分にさせてくれた。さすが観光客の足はぴたりっと止まっていた。街中や地下鉄沿線の駅には大勢の観光客で溢れかえっているが。コロナ感染者がぐっと増えた。連日世界一を誇っているそうだが、こんなことで世界一になるのは、不名誉なことだ。何の対策も施策のない。「自分の身は自分で守れ」といわんばかり。

 玄関横に外置きの物入れがある。もう使わなくなったお鍋やピクニック用の道具などどを詰めこんでいる。増え続ける電気コード類を処分した。少なくとも、この3年間(コロナの期間)は、一度も取り出すことがなかった大方の台所用品はもう使わない。すでに自転車は処分していたので、自転車の空気入れは不要。トンボ取りの網はしばらく置いておくことに。キャリーバックも三つだけ残して処分。かなりすっきりした。少し残っているペンキ類も使うあてはないので、処分。残したのは、梅干やラッキョをつける瓶類や寿司桶などの台所用品など。ピクニック用のバスケットは保留。気持ちまですっきりした。

 居間においてあるソファのカバーがボロボロになっていて、その上からカバーを欠けて、ボロ隠しをしている。そのカバーの裏が擦れた破けていた。座ることで布が擦り切れるのだと思った。それだけ人間の体重が重くのしかかると、布もしんどくなるのだろうか。ソファの切れ端があったのを思い出し、それを貼り付けた。その上にカバーをかけるので、見えない。手仕事は何でも好き。オランダから来たこのソファーはもう20年も使っている。とても座り心地がいいが、ここにゆっくり座る時間を作らなければと思った。

 保育園での問題がいろいろとでている。送迎バスでの置き去りにより、死亡事故がいくつかあった。今回は一歳児に対する身体的・心理的暴力を繰り返し行ない、表面化する前に、共謀した3人の保育士は退園している。そのことを知っていた園長は他の保育士に対して、口外してはならないという念書を取っていたという。まだまだ物が言えない一歳児に対する体罰があまりにもひどい。逆さ吊りをしたり、お仕置きをしている。なんということだろうか。一歳児なら、泣いたり、拒否したりして、自分の気持ちを表現するしかない。考えられないようなことを保育所ぐるみでやっていたとしたら、保育所を経営する資格はない。今回の事件をきっかけに保育所で、子供たちがどう扱われているかの調査が入った。一番多いのは、散歩中の置き去りが多いそうだ。私がよく散歩する賀茂川では、お天気のいい時には保母さん2、3人で20人ほどの園児を散歩させている。とてもご苦労が多いと思いながらも、子供たちの笑顔にほっとする。保母さんや保育士さんたちのストレス発散が子供たちに向かうとしたら、これは大変なことだ。子供たちの命まで奪われているとなると放置できない問題だ。国や社会全体が取り組むべき問題だと思う。私自身も保育所で子供を預かってもらって、仕事ができた。とても感謝している。

クローゼットの整理、ワールドカップで日本はスペインを制する 補正予算案?

12月に入った。あっという間の一年が終わろうとしている。昨日から、クローゼットの中の整理を始めた。いやというほど、ものを詰め込こみ、開かずの間だった。かなり思い切って、洋服を断捨離した。昨年にもかなりの断捨離をしたのにも関わらず、捨てられないものがたくさんあった。昨年は何年も着ていない服は、袋に作り替えたり、部屋ばきの脚カバーをつくった。毛糸の服は、湯たんぽのカバーにもした。パッチワーク風につないで、膝掛けカバーを作ったりと工夫をした。もうそんなことをしても、ものが減らないので、思い切って処分をすることに。毛糸だけでも、たくさんストックがあった。冬にだけ毛糸の編み物をするのがすきなので、まずは編みかけのものを仕上げようと思った。バッグもいやというほどある。吊るして見えるようにしたり、棚に並べて置いたり、重ねた整理箱にたたんで、入れたりした。

 いつもの病院で、5回目のワクチンをしてもらった。今日の国会での質疑応答のなかでわかったことだが、ワクチンは、8億数千万回分を購入し、まだ4億回数分が残っているという。政府としては無駄遣いにならないように、多くの国民にワクチンをうって欲しいということだが、あまり報道されてはいないが、ワクチンをうったあと、亡くなっている人も少なくなくいるようだ。因果関係はわからないものの、効果と弊害を明らかにしないことには、信頼がない。私は今回もファイザー製のワクチンだったが、うったところに筋肉痛があり、腕の上げ下ろしが辛かった。身体が反応しているのだろうか。よく効いているのだろうか。

 今朝4時に起きて、ワールドカップをみた。日本対スペイン。2対1で日本が勝利。二点目のゴールはAIのビデオ判定になった。1ミリ線上にボールがかかっていて、得点につながった。これはラッキーだった。スペインではこの判定に異議ありとしているというが、ビデオ判定でそうなったのだから、日本はラッキーだった。ドイツ戦と同じく、前半はスペインが優勢だった。なかなかボールのパスがうまくて、相手にボールを渡さない素晴らしい試合運びだった。だが、日本は後半戦が始まってすぐに、猛攻撃をくわえて、得点につながった。よかった。あとも落ち着いて戦った。応援してよかった。

 国会では来年度の補正予算について議論。いま、この時期に防衛費を2%に引き上げる必要があるのだろうか。総額約29兆円。具体性のない巨大な規模の予算案、予備費の積み上げ、無責任な計画性のない予算で、まったく十分な議論がない。なによりも使途を白紙委任する予備費が4•7兆円もあることだ。国民の税金を無責任に使っていいのか。あきれる。

ガスレンジの買い替え  Jamesのこと  クッツエー著『スペインの家』読む

 いよいよガスレンジを買い換えることにした。もう20年は使っているので、「さよなら」をすることに。3個のコンロがついているが、一つのコンロの火のつき方が悪い。なかなかカチッととまらない。知らない間に消えていることもある。なにかがあると大阪ガスの方に連絡をして相談に乗ってもらってきた。丁寧な説明とテキパキしているので、安心してお願いすることに。ちょうど大阪ガス展の最中なので、割引率もいい。だんだん便利なものが世の中に登場し、いままで使っていたものが、「時代遅れ」にみえてしまう。とくにお魚を焼く時には、レンジの近くにずっといなければならないので、ガスオーブンで、ホイル焼きをすることが多かった。新しいレンジにはタイマーが付いていてとても便利になったそうだ。無水調理、薫製、解凍焼き上げなどもできるという。少人数の料理には便利かもしれない。

 ガスレンジの取り替え工事は12月中旬になる。今日は、ついでにレンジ周りの大掃除をした。油汚れの掃除には、ジェット噴射機が一番。水を水蒸気に変えて、高温でこびりついた油を溶かす。紙タオルか雑巾で拭き取るだけですむ。ついでに流し台まわりも掃除ができた。すっきりした。少し手を加えて、念入りに掃除をすると、気持ちまで大掃除できたよう。

 先週ケープタウン大学で行われたNeville Alexander記念講演会についてブログで書いた。その時に、Neville の信頼する友人Jamesのことを考えていた。するとメールが届いた。Jamesのブックレットができたので、画像で送られてきた。2年前に亡くなられた。私とは1ヶ月だけ年長者でいろいろと議論ができる人だった。Nevilleと活動を共にしていた。とくに開発の問題の専門家だった。高校時代から反アパルトヘイトの活動に関わり、ロベン島に5年間投獄され、釈放後は自宅拘禁にあっていた。ドイツに亡命して、大学教育を受けて、反アパルトヘイトの活動をヨーロッパを舞台にして続けてきた。南アフリカ民主化したあとにドイツから帰国して、大学で教えながら、新生南アフリカのために活動してきた。NevilleはJames を兄弟のように思い、毎日仕事を終えたあとはJamesを訪ねて声をかけていた。とてもユーモアがあり、親切な人で、いろんなことを教わった。Jamesの家にはいつも誰かが訪ねてきていた。

 J.M.クッツエー『スペインの家』(くぼたのぞみ訳)を読んだ。クッツエーは2003年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカの作家で、ノーベル文学賞受賞記念講演でスピーチした文章が入っていた。「彼とその従者」がそれ。他に「スペインの家」と「ニートフェルローレン」の短編2篇が収録。ちいさな本だが、いろんな思いがいっぱい詰まった作品集。彼は南アフリカで生まれ、ケープタウン大学で教育を受けたが、のちにアメリカのテキサス大学オースティン校で博士号を取得。ケープタウン大学で教えながら、作家活動を始め、イギリスのブッカー賞なども受賞した。ノーベル文学賞を受賞して以降オーストラリアのアデレードに移住。彼のパートナー・ドロシー・ドライバーはケープタウン大学でアフリカ文学を教えていたが、いまはアデレード大学で教鞭をとっている。2006年に私がサバティカルケープタウン大学にいたときに、ドロシーの授業に出させてもらった。朝の8時半から授業が週3回もあったので、ちょっと後悔したが、とりあげていた作品はほとんど読んでいたので、ドロシーがどう学生に教えるのかが非常に興味があった。白人の学生はほとんど作品を読んでこないのと、何の反応も示さないので、ある時に爆弾が落ちた。アフリカ人学生は自分たちのことが書かれているので、反応は鋭かったのも、面白かった。

 クッツエーのこの『スペインの家』はとても軽やかで、奥深い物語だった。訳者のくぼたのぞみさんは、詩人でもあり、クッツエーの作品を数多く訳しておられ、この短編集はとくに、クッツエーの声が聞こえてきそうな、ゆるやかなリズムのある言葉がつたわってきた。クッツエーがノーベル文学賞を受賞するきっかけになった作品『Disgrace (日本語訳『恥辱』鴻巣友季子訳)』には、「がっかり」というよりは「憤り」すら感じた。南アフリカ社会を描いているのだが、いろんな角度から議論され、評価がわかれた作品だった。作品の舞台になった場所は私自身が日常に経験していた場所でもあり、生活臭や空気感がわかっていたので、とても興味深い作品だったが、好きになれなかった。民主化した南アフリカ社会への挑戦を試みたのだろうが。

 「スペインの家」は、人と家との関わりを書いていて、非常に面白かった。ケープタウンからオーストラリアのアデレードに移住することを決めた直前に発表したものだけに、非常に理路整然として、南アフリカを離れることには何の執着もなかったのだと思った。むしろ新しい家で暮らすことへの希望がみえた。クッツエーは2007年12月にドロシーと一緒に来日し、東大で講演会があった。私はそこに参加したが、その数日後に京都に来られ、夕食を御馳走になった。クッツエーもドロシーもベジタリアンだったので、私も同じものをいただいた。和食は野菜中心の料理がたくさんあるので、お気にめしたようだったが・・・

秋咲きのバラは大輪。満開になる少し前に切り花にして小さな花瓶に入れておくと、そこからどんどん大きな花びらを咲かせる。食卓においてあるので、食欲がわいてくる。何かわからない力をもらっている。

 

秋葉大臣の答弁? 大原の朝市、Neville Alexander氏の10周年記念講演会

 秋葉復興大臣は、25日(金)の衆議院予算委員会で旧統一教会との関係を問われた。旧統一教会の友好団体と同じ住所に事務所をおく「平和連合宮城県連合会」に会費(2万4千円)を支出していたことが政治資金収支報告書でわかった。しかし、自民党の点検調査では秋葉氏の名前はなかった。また、自身の選挙期間中に公設秘書に活動報酬を支払ったことが問題になっている。事前に、秘書の選挙活動を選管に届けていない場合には、「選挙運動買収」につながる。また、次男が秋葉大臣の名前のタスキをかけて選挙応援をしたことは、選挙違反にあたる。この点がつかれたが、秋葉大臣は「次男が勝手に親を思ってやったことで、指摘を受けて、3日でやめた」と逃げた。さまざまな疑惑が浮上していて、先の3人の大臣辞職につづくのではないか。答弁があまりにも、不誠実で、「知らない」「わからない」「調査中」と逃げの一手だった。岸田首相はあいも変わらず、大臣任命責任を逃れつづけている。指導力のない総理。政治が腐敗している。

 27日、日曜日の朝は恒例の大原の朝市へ。お花は、ピラカンサアルストロメリアを購入。先週購入した聖護院カブラと赤大根があまりにも美味しかったので、今日も購入した。薄切りにしてお塩をし、甘酢でつける。千枚漬けにした。赤大根は生でたべてもとてもみずみずしくて、甘みがあり、美味しい。珍しく畑菜があった。畑菜は京都の伝統野菜だといわれているが、関西では馴染みの野菜で、薄揚げと一緒に炊いたのを食べていた。スーパーではあまり見かけないので、うれしい出会いだった。帰路、貴船神社周辺の紅葉を観に行った。いまが一番美しく紅葉しているように思った。美しい緑色の北山杉の間に真紅の紅葉がバエていた。

    

夜7時にドーハで開催されているサッカー・ワールド・カップで、日本はコスタリカと対戦したが、惜しくも0対1で負けた。スピードとパスでは日本は負けていたように思う。ドイツ戦の前半みたいな戦い方だった。それにしてもサッカーは体当たりのゲームで危険が伴っていると改めて思った。メディアの異常な報道のあり方には、ちょっとひけてしまう。期待ばかりかけると、負けたときに大きな失望があり、その落差がこわい。

 昨日、今日とケープタウン大学で、Neville Alexander氏の10周年記念講演会が開催されて、You Tubeにアップされた。友人や知人たちがネヴィルのことを語っていた。ネヴィルの考えをどう継承していくかを議論していた。またネヴィルの所蔵していた膨大な資料はケープタウン大学の図書館のアーカイブに入っているが、数年前のテーブルマウンテンの山火事の延焼により大学の図書館が火事にあった。どうもネヴィルの資料は残っているようだが、今後どうするかを検討中だとか。ちょうど10年前の2012年8月27日に75歳で亡くなった。ネヴィルはケープタウン大学で、マルティリンガル教育の実践として、オルターナティブ教育研究所の所長だった。私は、サバティカルの学外研修(2006年9月〜2007年8月)で、ネヴィルの研究所に籍を置き、数多くの貴重な体験をさせてもらった。You Tubeで会議の様子、当時さまざまなプロジェクトで一緒に活動した人たちがネヴィルの足跡と現在も続いている活動の様子を語っていた。ネヴィルがいかに多くの人たちに影響を与え、その活動がいまも続いていることを知って嬉しく思った。コロナがなければ、ケープタウンにでかけ、記念講演会に参加していたと思うが。

 ネヴィルのことを知ったのは、野間寛二郎著『差別と反逆の原点ーアパルトヘイトの国』(1969)を読んだ時だった。ネヴィル・アレクサンダーは1964年〜1974年までの10年間ネルソン・マンデラと一緒にロベン島の刑務所に収監されていた。野間さんの本の中に、ネヴィルがドイツで知り合った日本人の友人に宛てた手紙に、反アパルトヘイト活動のために、ロベン島に収監されたことを書いていた。その手紙を野間さんが翻訳して、著書に紹介していた。それを私は読んでいて、よく記憶していた。1994年4月から1995年3月まで南アフリカに滞在していた時に、ネヴィルに出会い、そのことを伝えると、えらく驚いていたのを今でもよく覚えている。ネヴィルに教えられたことはたくさんある。ひとつは2006年12月に「Vulindela Reading Club」を立ち上げ、毎週土曜日の午前中、地域の子供達にコーサ語と英語で絵本の読み聞かせ活動に参加させてもらった経験は何ものにもかえがたい。冬の寒い時期に、ネヴィルが大きなお鍋一杯に野菜スープを運んできてくれたときに、子供たちが大喜びだったのを今でもはっきりと覚えている。

セーターを流行りのベストに お香を炊く、サッカー・ワールドカップの熱気

 もの作り<その3>。古くなったセーターの袖をきって、今若い人たちの間で流行っているベストに作りなおした。服の上から簡単にはおれるように、脇も切った。袖部分を細長く切って、袖口と脇を縁縫いした。長いネックがついているので、首回りと背中が暖かい。ロンドンで購入したセーターで長年愛用したが、そのまま捨てるにはなにか申し訳ない気がした。袖がついていない分、着脱がとてもスムーズにいく。年をとると、手を後ろにまわして、セータを着るのも大変になってきた。手足の動きがだんだん鈍くなってもいる。自覚できているので、よしとしようか?

 先日購入していたビオラをようやく植えることができた。かなり長い期間楽しめる。春から夏の間中楽しんだベゴニアがまだ少し残っているので、そのまま植えておくことに。冬の間に花が咲いていてくれるのは、心がなごむ。


1〜2週間に一度、玄関、トイレ、洗面場、台所、寝室、居間などにお香を炊く。とくに好きな香は、ローズ系。お線香の白檀のような匂いは、あまり好きではないので、何十年とローズに決めている。海外の友人たちの中には日本のお香が好きな人がたくさんいるので、お土産に持っていくことがよくある。インド系の友人は、瞑想したり、ヨガをしたりするときには、お香を炊いて、精神を安定させるという。カリブ出身の友人もお香が大好きだ。私は梅雨時のなんともいえない湿気臭や、料理をしたあとのスパイスの強い匂いなど、生活臭がいやなときにもお香をたく。京都にはお香屋さんがたくさんあるが、好きな匂いが決まっているので、いつも同じお店で購入している。

 昨日はワールドカップのドイツ対日本のサッカー戦が盛り上がった。NHKは夜の7時のニュースのトップはサッカーだった。NHKが独占配信なのでそうなるのは、わかるが、それでも11月23日国民の休日勤労感謝の日」だったので、他にもあるだろうと思った。コロナ感染拡大も続き、第8波が押し寄せている。外国人観光客が日本に、とくに京都に押し寄せてきている。京都では、コロナ前の8割までの観光客が戻ってきたという店もある。人の移動が範囲を広げることでコロナ感染拡大がつづく。ドーハーで観戦するワールドカップサッカーのサポータたちや、渋谷でサッカーを観戦していたサポーターたちの数の多さに驚いた。コンサートやスポーツ観戦になんの規制もなくなった。コロナのことは忘れていいという雰囲気になってきた。

 今日も朝から夕方までの報道番組では、サッカーの話題、日本がドイツに勝利した、堂安と浅野がゴール点をあげ、それぞれの兄弟がテレビに引っ張り出されていた。異常な報道ぶりに、なにか恐ろしさを感じた。私は2002年の日本・韓国合同ワールドカップからサッカー・ファンになり、2010年の南アフリカ開催にはすごく盛り上がった。サッカーボールの動きは、予想がつかず、ハラハラ、ドキドキしながら、テレビ観戦をする。FIFA女子ワールドカップもいつも観戦している。