Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

1月17日 フランス語の最終授業

 17日、フランス語の最終授業だった。ペローの赤頭巾ちゃんを読む。グリム童話に出てくる赤頭巾ちゃんとは違って、最後はおばあさんも赤頭巾ちゃんも二人とも狼が食べておしまい。グリムの方は、最後には猟師が、狼のお腹を割いて、おばあさんと赤頭巾ちゃんを助けるというお話。フランスではペローが読まれていて、最後に教訓がついている。寄り道をしないとか、騙されてはいけないとか、お母さんの言いつけを守りなさいというようなもの。フランス語で読み物が読めた。この一年間、フランス語は楽しく学べた。5月までお休みなので、その間忘れないようにしなければと思う。

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 しんらん交流館で開催されている「ふしはらのじこ絵本原画展、ゴジラの森、ヤクシマザルの森」を観に行った。ふしはらさんとは長年の知り合いで、30年以上も前にふしはらさんと一緒に「スワヒリの昔話を読む会」を数年間やっていた。ふしはらさんは堺町画廊を経営し、アフリカ関連の催しもよく開いている。そんなご縁で久しぶりにふしはらさんともお会いできるので、出かけた。

    細かなゴリラの毛を丁寧に描いていて、また優しいゴリラの眼差しが微笑ましかった。実際にアフリカでゴリラを観て過ごされていたので、臨場感が伝わってきた。屋久島もそうだ。

 神戸の震災から25年。テレビのニュースではどの局も取り上げていた。あっという間の四半世紀。震災や自然災害は防げないかもしれないが、大きな被害にならないような社会づくりが大事だと思う。

1月14日伊藤若冲を観にいく

14日、高島屋の7階で開催されている伊藤若冲の絵を友人に誘われて観に行く。若冲は京都の錦市場で育ち、画家として活躍するのはかなり遅めだったと言われるが、素晴らしい筆運びに圧倒された。

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若冲とゆかりの深い、京都の8ヶ寺(相国寺慈照寺鹿苑寺、大光明寺、宝蔵寺、壬生寺萬福寺、天真院に伝わる名品や若冲蒐集で国内外に知られる京都の細見美術館の所蔵品が展示されていた。若冲の鶏の絵はとても有名なので、京都ではあちこちで見られるが、他の生き物たち(ネズミ、虎、犬、鯉など)もユーモアがあり、ほのぼのとした。若冲の作品をこんなにも多く一度に見ることができたのは初めてだった。

 鳥類を描くのが得意で墨絵のような絵はとても勢いがあり、まるで生きているような印象をえた。背景の竹や梅なども見事だった。何人かの弟子たちも若冲からの手ほどきを受けて描いているが、素人目にも違いがわかった。

 1月15日、何十年も昔に高校で机を並べていた友人たちと「旧成人の日の会」をここ何十年か続けている。私は途中から参加し、最近にお一人が加わった。全員で六人。今年は千里中央のチャイナテーブルで中華料理をいただいた。私たちは高齢者になってきたので、若い人たちのように脂っこいものは好まなくなってきたので、今年の幹事さんがお店にお願いをして、味に特別な工夫を凝らしてもらったようだ。量も味も丁度いい具合だった。窓の外には虹が出ていた。

 それぞれに健康不安を抱えていたり、一人旅を楽しんでいたり、食事に工夫をしていたり、ヨガやジムや趣味に楽しんでいたり。私以外は25年前の阪神・淡路大地震を経験していたので、この時期には震災のことを思い出し、涙があふれるという。私は南アフリカヨハネスブルグにいたので、震災は知らない。だが、その年の3月に帰国後、神戸の街を歩いて、震災の爪痕の一端を見た。ショックだった。その後、街が綺麗になるにつれ、様々な思いが湧き上がる。

 「旧成人の日の会」のメンバーの一人は、夫を震災後に亡くしている。テレビや新聞ではこの時期になると、地震の報道があり、神戸で育った私たちはどうしても思い出す。あの大変だった状況を、それぞれに逞しく生き抜いきた様子は、毎年の話題にのぼるが、すごいと思った。 

1月11日 カワセミを見つける

1月11日。 10時10分からリハビリの予約をしていたので、その前1時間ほど、加茂川沿いを散歩した。

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ここしばらく暖かい日が続いているので、散歩はここちよく、足がよく動く。久しぶりにカワセミを見つけた。珍しく、しばらくじっとしていた。

リハビリを終えてから、筋トレジムに向かった。土曜日はジムが午前中だけなので、10時から12時半までに入らなければならない。大勢の人たちが来ていた。お正月の特別な食生活から早く普通に戻さなければと思う人たちが多いのだろうか。

 夜7時から、日仏会館でトリニダード・ガルシアさんの「Pour que tu t'aimes encore (あなたが貴方をふたたび愛すために)」の公演を観た。20代、30代、40代、50代の女性の抱える問題が、次々に現れる。一人芝居なので、一人で何役もこなしながら、早いテンポで進むが、フランス語についていけない。字幕を観ながら、想像するが、とてもフォローできないが、なんとなく理解したのは、男女の愛とは何かを問いかけている。

 元同僚だったベッキーさんに誘ってもらって観劇したのだが、この劇を日本に招待したのは、20年以上も前の元学生だった。私からも授業を受けてこうした活動へのつながっているというので、とても嬉しかった。またフランス語から日本語に翻訳する手助けをしたのが、アリーンさんだった。アリーンさんにも久しぶりにお会いすることができた。およそ30年前からの知り合いだったが、子供さんの教育のために東京にしばらく移り住んでいたので、お会いすることはなかった。ケープタウンで何度かお会いしたのも10年以上も前のことだった。こうして古くからの知り合いにもお目にかかれたのも、嬉しいことだった。

1月10日フランス語の授業再開

 1月8日、今年度初のリハビリ。かなり右腕が上に上がるようになったが、まだまだ並行に腕を広げることはできない。腕を支える筋肉が切れてしまって、もう修復不可能なので、腕を支える他の筋肉を鍛えるしかないという。理学療法士の方のお世話になり、10分の電気療法と20分のリハビリを受けている。もう3ヶ月にもなるので、よくなりつつあるが、それほど簡単なことではない。

 私が通う病院には大勢のお年寄りの方々が見えている。足や腰や腕が動きにくい人たちがやってくる。ほんのちょっとしたことで転んだり、つまづいたりして、骨折をする。それだけ骨が脆くなっているのだが、こうした整形外科が多くの人を助けている。ありがたいことだ。

 リハビリの予約時間より1時間早く家を出て、加茂川を上流にのぼって、志久呂橋まで行き、そこから反対側の河岸に出て、御薗橋まで散歩した。そこから、私は整形外科医院まで歩いて行った。例年にない暖かい新年なので、散歩に誘い出してくれるお天気に感謝。

 

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 午後から、京都精華大学で20年勤務した漫画家の竹宮恵子さんの最終講義を聞きに行った。私が関わっているWANのサイトに大学関係者の最終講義をアーカイブ化しているので、その取材をかねてでもある。

 売れっ子漫画家の竹宮恵子さんが京都精華大学で漫画を教えるということ自体も当時大きな話題になった。竹宮さんの最終講義は「人生の扉」がテーマだった。漫画家として切り開いてきたいくつもの扉、教員になり、後には学長としても尽力された。研究者として開いた扉などについて離された。これからも新しい扉を開かれる希望に満ちたお話だった。

    1月9日。午後からはフランス語の復讐と予習をした。動詞活用の種類が多く、混乱しているので、自分流のまとめ方をして整理した。大過去、複合過去、半過去、単純過去、全過去、現在、単純未来、前未来。    この8つの時制がある。

 日仏会館のフランス語講座ではこうしたことはきちっと習っていなかったように思う。

 1月10日。午前中は加茂川沿いを散歩。いつも立ち寄る喫茶店でコーヒを飲む。午後からはフランス語の授業。先生は理路整然と教えてくれるが、難しい。学んだのは、単純過去と前過去。

 1。直説法単純過去 書き言葉のみに用いる。現在とは完全に切り離された過去の動作や事柄を表す。

 2。前過去。単純過去で表された過去の動作に対し、その直前に行われた動作を示す。書き言葉でしか用いられない。そういえば、日本語も書き言葉と話し言葉ではかなり違うし、豊かな方言もたくさんある。難しいとは誰も言わず、自然に身についている。言葉とはそういうものなので、フランス語に対しても気長に学び続けようと思う。

1月7日、お習字のおけいこ

今年度初めてのお習字のおけいこがあった。

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千字文の「肆筵設席 鼓瑟吹笙」の前半を書いた。意味は、「むしろを敷いて座席を設け 大琴弾いてしょうの笛吹く 」ということだそうだ。

 初級のお手本として利用されてきたのだが、私にとっては1000の文字を書き終えるのに、何年かかるだろうかと思う。ただただ「継続は力なり」なのだ。

 久しぶりに雨が降り、一日中鬱陶しい日だった。洗濯物は風呂場の乾燥で乾かすことにした。風呂場には二本の竿が渡してあり、上から熱風が出ているので、かなりの速さで乾燥してくれる。

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    これまで何年も乾燥機付きの全自動洗濯機を使っていたが、最近の洗濯板騒動で普通の洗濯機に買い換えた。洗濯物はベランダに出て、朝日を浴びながら、干しているが、雨の日は風呂場の乾燥を利用している。
 冬物のセータやフリースが出ていなかったので、ようやく取り出した。フリースの上着だけでも10着以上もあり、同系色のものが何枚もあった。

    テレビ局もようやく日常の番組に戻った。ゴーン氏のことや、IRのことなどが取り上げられている。日本にカジノは必要だろうか。誰にとって必要なのか?ギャンブルであることは明白だ。

 最近では近所にあるパチンコ店にはあまり人が入っていないようだ。以前のバブルの頃には開店前から若い人たちは列を作っていた。だが、今は開店待ちの列はない。若い人たちはまずパチンコに費やすお金がない。日々の暮らしに精一杯で、アルバイトで稼いだお金をギャンブルで使っていられないのが現状だろう。

 IRって何。Integrated Resortの略。初めて知った。統合型リゾートセンターと言えば誰でもわかるのに。すでにこのような商業センターはあちこちに誕生している。この中にカジノを作るということ。これまでカジノは集客センターとして、ギャンブル会場を入れるということだ。外国からのお客さんを誘引するというが、本当にそのような施設を観光客は望んでいるのだろうか。本当に日本人もそのような施設を望んでいるのだろうか。

 この法案の成立には非常に不透明なプロセスがある。最終的には2018年4月に「IR実施法案」が閣僚会議で決定し、2018年7月に成立。あまり審議をしていた記憶はない。バタバタときまった。その背後で多くの国会議員が賄賂を得ていた。今もう一度立ち止まって、きちっと考え直して欲しい。

 南アフリカの女性作家ライダ・ジェイコブスの『ギャンブラーの告白』を思い出す。2004年にクウェラ・ブックスから出版されると、一躍話題になった。ライダ・ジェイコブスは長年カナダに亡命していてが、南アフリカ民主化後に帰国を果たして、執筆活動に専念した。ごく平凡は女主人公は、カジノに入り浸り、ギャンブル依存症になった。複雑な苦しみから逃げるためにギャンブルの世界に迷い込んだのだが、彼女の苦悩に耳をかすと、家族の問題、エイズの息子、宗教などの複雑な問題が彼女を苦しめていた。そこから逃れるために依存症になったのだった。ギャンブルはなんの解決も与えてはくれない。借金ばかりが増えていく。破滅への道を直進するしかない。

 ライダ・ジェイコブスはこの作品を映画化した。その映画をライダの家で見せてもらったことがある。彼女の本の編集をしたのが、私の友人だった。その友人がライダの願いで、映画の感想を知りたいというのだった。私はその共通の友人にライダの家に連れて行ってもらい、映画を三人でみた。小説も結構叙述的に描かれていて、面白かったが、映像もさらによかった。

1月6日 ようやく普通の生活が

 ようやくお正月気分から抜け、普通の生活に戻った。年末年始、お役所はお休みだったので、午前中は郵便局、銀行、区役所などに行った。それだけでも2時間かかった。いよいよ車は乗らないので、車も処分して、免許書も返納することにした。そのために印鑑証明書が必要だ。こうした処理は長年お世話になった車屋さんがすべてやってくれるので、ありがたい。

 イランの革命防衛隊のソレイマニ司令官が殺害されたことで、イランとアメリカの間で緊張感が高まっている。今回の攻撃はトランプ大統領の指示で行われ、世界中で大きな話題となっている。「戦争を止めるための措置」と言っているが、そんなことはありえない。戦争をするための措置であり、トランプ大統領の国内向けには大統領再選のための行動でしかない。あまりにも自分勝手な行動。

 カジノ汚職、ゴーン氏の国外逃亡、桜を見る会、中東沖への自衛隊派兵など。さらに年末年始、安倍首相はゴルフ三昧。多くの人は遊んでなんかいられない多忙な時期で、経済的余裕すらない。

 国会でまともに答弁もせず、説明責任は果たさず、官僚に忖度ばかりさせる首相を私たちは必要としない。天皇の年頭の挨拶には、台風や地震による被害を受けた人々へのねぎらいの言葉があった。首相は一度として真摯に災害と向き合ったことはない。あまりにも非道だ。自己保身だけに走っている。ゴルフなんかやっている場合ではないはずだ。

 f:id:mwenge:20200106153910j:plain2020年になってこんな感想を持つだけでも嫌なことだ。 

左の写真は植物園の中のバラ園で健気に咲いていたバラ。


 

1月5日、朝の散歩に植物園へ

 

 ようやく植物園が開園となったので、朝の散歩に植物園まで行くことにした。昨日と加茂川の同じところにユリカモメがいた。今朝は雨が降っているからか、もうお腹がいっぱいなのか、じっとしている。

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琵琶湖から比叡山を超えてやってくるので、「都鳥」とも呼ばれる。

在原業平の「 名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思う人は ありやなしやと 」と詠んだ歌に出てくる都鳥とはこの鴨川のユリカモメのこと。別にミヤコドリもいるそうだ。

 ユリカモメが飛んでくると京都に冬がやってきた感がする。
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植物園の中は山茶花がいっぱい。多くのカメラマンたちが集まる池の周りで、カワセミが飛ぶのを見た。一瞬のことで、カメラにはおさめられなかった。バラ園では寒さに抗してバラが元気に咲いていた。

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  植物園をでて、北大路橋を渡っているときに、北の山に虹がかかっていた。とても大きな虹だが雲が出ていたので、虹の架け橋とはならなかった。

     一月最初の日曜日であるために、北大路のショッピングセンターに大勢の人がきていた。サンドウィッチとコーヒで軽いランチを食べ、バスで帰宅。