Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

1月4日 筋トレジム・カーブスに行く

 4日。家から加茂川をくだり、植物園まで散歩するが、植物園は昨年の28日から4日まで休園で、なかには入れない。加茂川にユリカモメが帰ってきた。この冬に初めて観るユリカモメたちだ。カモは年中加茂川(鴨川)にいるのだが、琵琶湖や北の方から渡り鳥たちが飛来する。ようやく冬がきたなあと感じる。

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 進々堂の喫茶部でコーヒを飲む。いいお天気なので、心が晴れやかになる。

 すぐ近くにある筋トレジム・カーブスで軽く運動をする。身体も心も軽くなったような感覚を味わう。月初の測定があった。それほど大きな変化もなく、筋トレが効いているようだ。 

  

  一乗寺にあるインテルナ・ウエダで飛騨の家具展をしていたので、バスに乗り、出かけてみる。40年近く前に購入した飛騨のテーブルの天板が剥がれてきて、いつもテーブルクロスをして使っているが、木の温もりを直に感じたいと思っている。天板を修理できないかと尋ねてみると、飛騨産業の家具しか扱わないと剣もホロホロに言われた。このテーブルは、あちこちに移動して使ってきたが、180x90cmのかなり大きなテーブルなので、お気に入り。食事はここでとっているので、なんとかならないかと考えている。ネットで調べてみると、あちこちでそうしたリクエストに答えてくれる家具屋さんがあるようだ。

1月2日 娘家族がやってくる

娘家族が新年のお祝いにやってきた。例年のごとく年の一番若いものから今年の抱負を一言述べる。一番年下は高校二年生の孫。大学入試が待ち構えている。上の姉は大学一年生で、海外留学ができるように勉強を頑張るそうだが、バイトばかりに明け暮れているにもかかわらず、少しは先のことも考えているようだ。夢や希望を持つことは大事。私は健康第一で、楽しく暮らせればいいかなあ?

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おせち料理と、ローストビーフ、ローストチキン、ハム、ポテトサラダ、肉団子、ゴボウの肉巻きなど。

若い人たちは気持ちいいほどよく食べる。作りがいがあった。

食事を終えてから、北野神社に出かけた。例年の行事で娘、二人の孫、私が書き初めに参加。今年私が書いた文字は「紅梅」。昨年は初めて全員が金賞を受賞。娘と下の孫はここ10数年、金賞を連続とっているが、上の孫は金賞と銀賞の間を行き来している。賞は金賞と銀賞しかない。孫たちは書道教室で学んだことはないが、娘は小学校一年から高校三年まで書道教室に通っていた。

 帰路大丸に立ち寄って、手帳のリフィルと、卓上日めくりのリフィルを購入。最近では予定表は携帯に書き込むことが多く、手帳はあまり使わなくなったが、備忘録として書き留めようにしている。

 夜はすき焼きとおせち料理。ぶりの照り焼きとほうれん草のおひたし。上の孫だけがお泊まり。

2020年1月1日 新年を迎えて

晦日NHK紅白歌合戦を観て過ごした。ここ夜は冷え込むので、窓ガラスに結露がつく。毎朝これを拭き取るのが厄介だ。少し窓ガラスを開けておき、部屋の温度がそれほど上がらなければ、結露は全くできないというので試してみた。確かに外の温度と内の温度の差が大きくなると、結露ができやすい。ここ数日は全く結露ができていない。なんでもっと早く気がつかなかったのか、悔やまれる。

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 そのためなのか、どの窓にも上の方に小さな開き窓がついている。その意味を知らなかった。確かにマンションは気密性に富んでいるので、窓を締め切ると、完璧に外気をシャットアウトする。

 昨夜、田原総一朗の「朝まで生テレビ」を聞きながら、寝ていた。各政党から比較的若い議員と、ジャーナリストと研究者が参加していた。産経新聞社の論説委員長の乾正人の態度にショックを覚えた。あまりにも傲慢な態度、人の意見に耳を貸さないジャーナリストらしからぬ態度に怒りのようなものを感じた。メディアも官邸も官僚も安倍首相に忖度し、安倍首相がのぞむ傲慢な政治を押し進める手足となっている。それでは民主国家からはほど遠い独裁国家に成り下がっている。世界からの評価もガタ落ちの日本、オリンピックなんかやる資格あるのだろうか。

 1月1日の朝食は、例年の如く、お節料理と、白味噌のお雑煮、赤飯。今年から、小さな器に二人分のお節をつめて、食べきりにした。

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 朝食後上賀茂神社にお参りに行く。

歩いて5〜6分のところにある。いつもと違って大勢の人がきていた。下鴨に住んでいたときには、深夜の12時の下鴨神社開門と同時にお参りした。

 夜のお参りは足元も危ないし、億劫になってきた。下鴨神社とは違い、上賀茂神社は広々としているが本殿は階段を少し登ったところにあり、狭い。普段は締め切っていて、中には入れないが、お正月だけは開門している。家に帰ると年賀状が届いていた。簡単なランチを食べ、年賀状の返礼を書いた。年中行事として新年に年賀状を書くことにしている。加茂川沿いを北山橋まで下り、北山通りを西に堀川通りまで歩くとその角に北区郵便局がある。そこで年賀状を投函。帰りは西賀茂車庫までバスに乗る。そこから加茂川の河原を歩いて7〜8分で自宅。今日は約8600歩あるいた。今年は健康第一で、のんびりと楽しく過ごせたらいい。

12月28日 大原の朝市

12月28日、2019年最後の大原の朝市。友人の誘いで朝6時半に大原の朝市に向かう。次第にあたりが明るくなっていく。例年になく暖かい冬。すでにお正月用のお節の材料は購入しているが、大根や里芋などを購入。久しぶりにいつものお花屋さんがきていた。突然、「もう朝市でお花を出せなくなった。もう歳をとったので、今日が最後」と告げられた。77歳だという。早朝からの朝市に、重たいお花を持ってくることだけでも大変だと思うと、これからは寂しくなるが、仕方がないかなあと思った。私はこのお花屋さんからたくさんの花や木の名前を教えてもらった。季節毎に様々な花や木が日常生活を豊にしてくれた。お花や木々に慰められ、柔らかな気持ちになった。

 18歳から7年近く未生流の生花を学び、師範の免状はいただいたが、ほとんど自己流で生花をしてきた。お花や木々を愛する人たちとのめぐり合いから、生花をいけることを何十年と通してきた。以前の下鴨の家では、玄関先の下駄箱の上に水盤に剣山を入れ、花をいけていたが、最近ではマンション住まいになったので、壺にいけることが多くなった。頂き物の信楽焼の壺、益子焼の壺などを愛用している。青い花器は私が生まれる前から母が使っていたもので、いつもこの花壺に花が生けられていた。

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12月31日、大晦日の日。恒例のおせち料理を作る。昨日には肉ボールやハンバーグ、ローストビーフなどはオーブンで一斉に焼いていたので、煮しめ物だけを作ればいい。野菜の皮むきは大変だが、大きなお鍋に、土のついたものを順番に湯がいてアク出しをしてから、皮むきをする。クワイ、里芋、京芋、ゴボウ、人参、レンコン。なんと土ものが多いことか。おせち料理を食べる週間は、日本が農村文化だとつくづく思う。数の子も塩出しをしておいたものをお出しにつける。

今年は、お出しを一斉に作っておいたので、一つづつ作るのに、便利だった。一度に炊いてもいいのかもしれないが、一つづつ作るのが長年の慣しで母から教えられた。それぞれが煮崩れない知恵なのだろう。

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 だし巻き卵は最近よく作るようになった。卵とはんぺんをミキサーで攪拌して、卵焼き器で作る。ゆっくりとアルミ箔を上にのせて焼けばいいのだが、今年は下だけを少し焦がしておいて、上がまだ柔らかいのをそのまま低い温度でオーブンに入れておいた。うまくできた。お店で売っているのは、甘すぎるので、自分で作るのがいい。

 娘家族がおせち料理を取りにきた。ついでに冷暖房器の掃除を頼んだ。

 夜はNHK紅白歌合戦を観た。久しぶりに紅白までに全ての作業を終え、のんびりとテレビを観ることができた。若い人たちの歌はほとんど知らないが、美空ひばりさんのAI(人工知能)が誕生し、新曲「あれから」が披露された。見事な声の復元に驚いたが、顔などは少しひばりさんとは違う違和感を感じた。こんなようにして亡くなった人を復活させるのはどうだろうか。故人はそれぞれの人たちの心の中に生きているが、AIでもう一度社会的活動をさせるのはどうだろうか。天皇、大統領、首相などの政治的権力を持つ人がAIで再来し、指揮命令をしたとすればどうなるのだろうか。AIを動かす人は誰なのか、等などを考えると恐ろしくなる。ロボットに支配される社会がぼんやりと見えてくる。

12月25日 アフリカ文学研究会

久しぶりにアフリカ文学研究会が大阪大学豊中キャンパス、大阪大学会館セミナー室2で開催された。主な発表は、1。村田はるせさんから最近翻訳出版したヴェロニク・タジョの『神の影』について。

2。アフリカ諸語による文学世界と作品の紹介があった。報告者は、 ①小野田風子(スワヒリ語)…E・ケジラハビ著『ナゴナ』&『迷宮』②塩田勝彦(ヨルバ語)…D・O・ファグンワ著『精霊の森の勇敢な狩人』、③砂野幸稔(ウォロフ語)…マーム・ユヌス・ジェン著『第一夫人』、④宮本正興(ギクユ語)…グギ・ワ・ジオンゴ & グギ・ワ・ミリエ著『したい時に結婚するわ』があった。

 1部は、『神の影』はルワンダのジェノサイドを記録したもので、歴史的に重要な作品。タジョの作品が日本語で読めるようになったのは、村田さんの多大なご尽力の賜物。

 2部は、砂野さんの企画でアフリカの言語で書かれた作品が日本語で読めるようになるというもの。どれだけ読者に関心を持ってもらえるかは、わからないが、アフリカ社会を理解には欠かせないとても重要な作業だ。

 久しぶりに多くの人に出逢え、大きな知的刺激を得た。それぞれにアフリカ文学をアフリカ研究の中に位置づけて、研究を進めてきたパイオニアー的役割を果たしている。あるいは若い頃から一緒に勉強をし、それぞれに研究を進めてきた仲間たちでもあった。富山、東京、熊本、京都、大阪、神戸、三重などから集まった。

 熊本から参加していた砂野幸俊さんは、京都の自宅に泊まった。今年度で熊本県立大学を退職されるが、学生時代から知っている人だ。フランス語圏アフリカ文学の研究を進めるなか、セネガルの民族語ウォロフ語も駆使できるので、人々の生活に入りこみ、アフリカ文学の世界を紹介してきた。

 翌朝は加茂川沿いを下り、植物園の中を抜け、北大路まで散歩した。積もる話は尽きないが、それぞれに様々な思いを込めて、これからもアフリカ文学研究を続けていく決意を確認した。私自身はゆっくりとアフリカ人作家の作品を楽しみながら、読んでいきたいと思う。

12月24日 日常あれこれ

 毎日の生活はそれほど変化はないが、毎日のルーティンをこなすだけで終わることがある。6時過ぎに目を覚まし、7時過ぎには朝食をとる。7時30分からはNHKの朝ドラ「スカーレット」を見て、そのあと火野正平の自転車旅「NHKの日本縦断こころ旅」を見る。観光地ではない、普通の生活風景がとても新鮮で爽やか。

 それから洗濯物を干しながら、朝の空気と風に触れて、大袈裟に言えば、生きていることを実感する。食事の後片づけ、部屋の掃除などを終えて、やっと一息つけるのが9時ごろ。散歩をしたり、リハビリに行ったり、電子ピアノの練習をしたりと朝の予定はまちまちだが、大体はゆっくりと過ごしている。すぐにお昼になり、簡単なランチを作って、食べ終えて、一息つくのが1時過ぎ。

 そのあとは、買い物に出たり、スポーツジムに行ったり、趣味の縫い物や編み物をしたり、本を読んだり、バラの手入れの教室に行ったり、水彩画の教室に出かけたり。日が暮れてくると気ぜわしくなってくる。お風呂に入り、夕食を作って食べ終わると、7時過ぎ。あっという間に時間だけが過ぎてしまう。ほぼ毎日、毎日が同じことの繰り返しだ。

 ときにはニュースに一喜一憂したり、怒ったり、喜んだり。今年も一年が終わりに近づいているので、反省点などを考えてみたい。

12月21日、またもや一週間が

 12月になると気ぜわしい。印刷物の整理、不要な郵便物、習字の練習紙、チラシ広告、カタログなどの処分をした。あちこちの引き出しに入っているものを全部だし、種類別に分類した。机の周りを片付けるのに2日もかかったが、すっきりした。机の前は大きなコンピュータの画面が占めているが、机の奥に板を置いて、作業スペースを広げた。その奥に植木を置いているが、枯れた葉っぱなどを綺麗にとって水やりをした。挿木にしていたバラはほとんどがうまく根づかなかったが、一本だけは立派に葉っぱをだし、成長しているので、ベランダの外から、家の中に移した。ローズマリもうまく根づいたようだ。

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 フランス語の動詞の整理をする。学生の頃にやっていたように、カードにして机の前においておく。

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 パン焼きも時々やっている。夜寝る前にパンメーカーに、材料を掘り込むだけで、朝起きると出来上がっている。部屋中にパンの匂いが立ち込めているので、食欲が湧いてくる。夏の間は、強力粉の中に牛乳を長時間入れたままにするのは嫌だったので、冷蔵庫の中にパンの種を作って入れておき、必要な量だけを取り出して、オープンやトースターやフライパンで、様々なパンを焼いて楽しんでいた。このやり方も小家族には便利だった。ケーキを全く食べなくなったので、パンが自宅で焼けるは嬉しい。

 伊藤沙織さんの主張が全面勝利した。伊藤さんの、ここまで闘ってきたことに対する勇気と努力を讃えたい。だが、メディアであれこれ議論されたり、また相手の山口氏は会見を開いて色々と反訴しているが、全て見苦しい。何より女性が性的な対象として「モノ」のように扱う男たちの文化が問われていることに早く気づいて欲しい。