Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

懲りぬバッグ作り 学校校歌を思う 「裏金政治」と森元首相は?

28日(木)昨日から、バッグを作っていた。もう何10年と処分できなかったビーズ刺繍をした上着をようやくバッグにした。バッグしか思いつかなかった。香港旅行のお土産にもらったもので、若い時にはよく着ていた。細かなビーズを一つづつ手でかがっている作業には脱帽。斜めがけできるように、長いベルトもつけておいた。柔らかい毛糸素材だったので、裏に芯を貼ったり、ベルトテープを中に入れたりした。上はファスナーをつけた。作っている過程が好き。

   

 つい最近、校歌の話になった。小学校、中学校、高校、大学のそれぞれの校歌はメロディが浮かぶと、自然に言葉がでてくる。それぞれの時代には、校歌の意味を考えたことはなかった。私の小学校の校歌は当時の校長先生が作詞をされたのは覚えている。卒業式の式辞もしっかりと覚えている。校歌は、「紫明の丘の 学び舎に 正しくつよく 育たなん」、さらに、「平和の光 東西の 睦もかたき 朝ぼらけ 自由の庭に 手をつなぎ あかるく誠 さゝげなん」と戦後の平和な社会で、学ぶことの尊さを教えられていた。中学校歌では、「美わしき 日本の知恵の泉」とか、「逞しき 日本の力の泉」と捉えられていた。高校校歌では、「掲げつとむる学灯の 光がてらすあこがれの 夢多き身のわれらかな」。校歌の作詞は著名な富田砕花。大学校歌は、「繚乱世界の文化を聚め 花展く世紀の学府」「悠遠古今の真理を悟り 新らしき行手を想う」。ちなみに、大学の校歌の作曲者は、下総皖一、作詞は本田実(当時の学長)。私自身が歩んできた時代は、戦後の平和な時代に夢を持ち、その実現のために学びなさいと教えられていた。それぞれの校歌を幾度もいくども歌いながら、意味を考えることはなかったが、心のどこか奥底にそれぞれの言葉が沈んでいたように思う。今の時代はどうだろうか。

 今日の記者会見で、宝塚歌劇団の劇団員が亡くなったことに対して、ようやく劇団側がパワハラの数々を認めて、亡くなられた方とその家族に謝罪をした。劇団自体が古くから上下関係を重んじる規則をよしとしてきた体質に問題があるが、時代が変化していくなかで、劇団独自の規則を検討し直すところまでには至っていない。

 「報道1930」では、「裏金キーマン森元総理 隠然たる力の源泉とは」について議論。参議院予算委員会立憲民主党辻元清美さんが森元首相の聴取について岸田首相に質問した。岸田首相は、「森元首相も関係者の1人だ。政治責任を明らかにするために必要な方ということで、(聴取対象に)含まれ得る」とあいまいな答弁をした。森元首相は、国会議員は引退したが、自民党内ではいまだに大きな力を持ちつづけている。「報道1930」では、森元首相が「裏金問題」のキーパソンとみている。ゲストの田崎史郎氏でさえ認めていた。岸田首相は本気でどこまでやれるのだろうか。