Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

イスラエルのガザ攻撃 筋トレジムへ ベッシー・ヘッド資料のデジタル化

 パレスチナイスラエルとの戦争状態について、テレビ報道や新聞などがいろいろ報道しているが、私には理解できない。根本的なところが曖昧だ。いまガザの住民たちが犠牲になっていることは確かだ。フランスのマクロン大統領は全面的にイスラエル側にたつと宣言し、「ハマス」のパレスチナ側を猛攻撃していた。アメリカも同様だった。日本を除くG6の国はイスラエルの支持を表明し、国際人道法の順守を求めた。だが、ガザの住民が犠牲になったり、病院などが爆破されるなかで、アラブ諸国から「二重基準」との批判を浴びて、少しづつ態度を変化させている。フランスもアメリカも、パレスチナ独立国家承認を前提として、「2カ国間解決」を言及し始めた。イスラエルを批判することはない。毎日のように、ガザ地区住民たちの悲惨な状況が報道されている。「「戦争」をやめろ」と誰も言わない。世界のあちこちで、「ガザ」で起こっていることが、いつ何時、どこで起こるかわからないあやふさがある。すでに「第三次世界大戦」が始まったと主張する人たちもいる。「戦争解決」ではなく、「平和解決」がなぜできないのだろうか。無抵抗な子供や老人たち、病気の人たちが大勢、無残な殺され方をしている。人道支援すら出来ないように、道路を封鎖。それだけでも十分な「犯罪」である。

 7日の夜から2日にわたり、G7外相会議が東京で開催され、イスラエルパレスチナの問題も議論することになる。どんな「声」がでてくるのだろうか。

 午後から、筋トレジム・カーブスにでかけた。背中が丸くなり、なんとなく背が低くなっていくような気がする。できるだけ背筋を伸ばすように心がけるが。。。少しでも時間を作って、筋肉をつけておこう。

 先日、ケープタウンにいた時に、ドロシーからメールを受け取った。最近にベッシー・ヘッド資料館を訪れ、ベッシーの資料が経年劣化していることを知り、なんとかデジタル化できないかと考えたという。南アフリカの女性作家ベッシー・ヘッドは、ボツワナに亡命し、作家活動を続けた。49歳の若さで亡くなったが、ベッシーが残した原稿や、膨大な量の手紙類などが、セロウェのカーマ三世記念館に残されている。そこには私も2度訪れたことがある。友人のレロバ・モレマ(ボツワナ大学名誉教授)やドロシー・ドライバーらが中心となって、資料のデジタル化に要する事務費用や人件費などの、ファンドレイジングを始めた。今日私のFacebookにその基金の呼びかけがあった。すぐにわずかだが寄付をした。私は、ベッシー・ヘッドの作品に出会って、さまざまな問題への関心を広げることができた。ベッシーには一度も出会ったことはなかったが、作品の世界の中にベッシーは生き続けている。ベッシーのお陰で、レロバにも、ドロシーにも、フマにも、デズリーにも出会えた。たくさんの人たちと出会えた。もしベッシーが生きていたら、70歳になっていたであろう2007年7月に、ボツワナハボロネで「ベッシー・ヘッド会議」があった。世界中から大勢が集まり、ベッシーが暮らしたセロウェの村にも、彼女のお墓にも行った。16年も前のことだった。

 先日も、ケープタウンで出会った友人は、「ケイコを知るために、ベッシー・ヘッドの『カーディナルズ』を読んだ。ベッシーの作品を読んだのは初めてだった」と言ってくれた。その友人は奇しくもベッシーが育ったピーターマリッツバーグ出身だった。