Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

2月1日 鳩避けフェンスとベッシー・ヘッド

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 朝9時からベランダの手すりに鳩避け柵を付けてもらった。マンションの廊下などには付けているが、ベランダにも付けてもらった。昨年マンションの大修理のときには、一部の人たちのベランダにはネットが取り付けられたが、上から下まで同じものが取り付けられた。これまでは個人が鳩避けネットを付けていたが、同時に上から下まで統一してつけることが決まった。昨年はバラの植木を一部にまとめて置いたので、そこには鳩は飛んできたことがなかった。トゲがいやだったのだろう。けれどもお隣との間にはよく鳩が飛んできて、鳩のフンだらけで、掃除も大変だった。鳩がどうか飛んでこないことを願う。赤い線で丸をつけたのが、鳩避けワイヤーを支える支柱。ほとんどわかりにくい。北側と東側のベランダにも付けてもらったので、これで鳩が飛んでこないことを願う。

f:id:mwenge:20210201153057j:plain ベランダに置いてあったカポックは霜枯れが原因で先日かなりの葉っぱを切り取った。だが他の葉っぱたちも元気をなくしてきたので、思い切ってすべての葉を切り取り、枝の長さも切り詰めた。春に復活することを願いつつ。これまで長いこと居た場所から、ベランダの片隅に移動することにした。他の木たちも移動し、配列を変えてすっきりさせた。冬の間は部屋の中に太陽がさしていいかもしれない。オリーブの木は時期がきたら少し刈り込みたい。

 コロナ感染者は、今日東京で393人だという。こんなに急激に減るのだろうか。PCR検査が極端に少ないのではないのか。検査を拡大しないで、縮小しているとすれば、こうした数字は操作されているのではないかと疑ってしまう。月曜日発表される陽性者数は検査数が少ないので、少ないのは当然だが。また、昨日は日曜日で、大阪の梅田、兵庫の三宮、京都駅での人の出は期待しているほど減ってはいないというが。

 Facebookの投稿にGardenが南アフリカの作家たちにとってどういう意味があったのかというエッセイがあった。南アフリカのアフリカ人で初めて小説を書いたソール・プラーキーにとって、土地問題はとても重要だった。1913年に南アフリカで土地法という法律が発布された。わずか13%の土地に人口の87%が閉じ込められた。人口の13%が白人で、白人が大半の土地を占領した。ここからアパルトヘイトが制度化され、人種差別が合法化された。私が南アフリカ文学に関わるようになったベッシー・ヘッドはプラーキーにならい、土地に根づいて生きることを決意した。ベッシーは、ガーデンに野菜や木々やお花をいっぱいにして暮らしていたという記事だった。

 私はずっとベッシーについて研究をしてきた。ベッシーが南アフリカから亡命してボツワナのセロウェで暮らし、作家として確立していった。私はベッシー・ヘッドに会ったことはないが、ベッシーの友人や研究者たちと知り合うことで、ベッシーを知るようになった。『ベッシー・ヘッド 拒絶と受容の文学 ーアパルトヘイトを生きた女たち』を書いた。ベッシーが生まれ育ったピーターマリッツバーグ、ダーバン、ケープタウンヨハネスブルグボツワナハボロネ、セロウェなどに出かけた。ベッシーが暮らしたセロウェの家には三度出かけた。もちろんベッシーは1986年に亡くなったので、その家にはいなかったが。

 すっかり忘れていたベッシーのこと、彼女がガーデンを愛していたこと、私がいまガーデン作りを楽しんでいること、こうして人と人がつながっていることをうれしく思った。

Facebookに投稿された写真。ベッシーヘッド

Home ground: the garden as a site of colonial critique - Architectural Review

Architect/researcher/activist/ cultural historian (and all round polymath) Ilze Wolff on the garden of writer Bessie Head...