Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

9.11 と9.12 忘れてはいけない歴史的出来事

昨日は「9.11」として知られる、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件があった日だ。すっかり忘れかけていたが、 Facebook友が、2001.9.11はどうしていたかと問いかけた。彼女とは20年来の友人で、ケープタウンで知り合った。ウェスタン・ケープ大学、ケープタウン大学で女性学を教えていた。いまもプレトリア大学などで女性学を教えている。2006年12月31日の越年パーティに彼女の家に招かれ、共通の友人たちと新年を祝った。真夜中にケープタウンの郊外を一人で車を運転するという無謀なことをやったが、彼女の家に集う人たちのサークルがとても大事に思えたのだった。

 14年前の9月11日。7月の末から9月の初めにかけて南アフリカとケニアに旅行した。ちょうど8月末から9月初旬にかけて、国連主催の反人種・差別撤廃世界会議が南アフリカのダーバンで開催された。私はNGOの会議に出席した。その会議はとても重要で、世界中から人種差別やあらゆる差別をなくすための会議を持った。世界中から多くの人が集まってきた。はじめてキューバフィデル・カストロ首相のスピーチを聞いた。パレスチナヤセル・アラファト議長など多くの政治指導者を見ることもできた。この会議には、アメリカとイスラエルが出席を拒否したために、あちこちの会場でアメリカやイスラエルに対して抗議の声をあげていた。後になって知ったのだが、この世界会議の最中に、すでにアメリカに対してテロ爆破の予告があったといわれている。日本も積極的にはこの会議に関わらなかったので、アメリカに追従する日本に対してもテロの可能性は高かったそうだ。

 南アフリカから帰国して間もなくして、9月11日の朝、自宅の居間で朝のテレビ放送を何気なくみていた。ビルに飛行機が突っ込む瞬間をみていたが、まるで映画か何かをみている錯覚に襲われた。まるで信じられない、ありえない画像をみながら、現実を知ったショックは大きかった。

 アメリカは、奴隷貿易で得た多くのアフリカ人を黒人差別法を人為的に作り、差別と支配を長年にわたり実行し、現在にまでそれをつづけている。そうした過去と現在の反人道的行為に対して公的に謝罪をしたり、賠償をすることを頑な拒んだ結果が、こうした9・11の行動の背景の一部になっていると確信をした。

 

 9月12日は、38年前に南アフリカの青年スティーブ・ビコが投獄中に拷問を受けて亡くなった日だ。警察発表はデタラメだったが、ジャーナリストのドナルド・ウッズなどの尽力により、ビコの死が検証されることになった。当時のビコの思想や南アフリカの状況などはドナルド・ウッドの映画「遠い夜明け」に詳しい。この映画は教材として、何度もみた。

 また、私がケープタウン滞在中に何度もネヴィル・アレクサンダーさんからビコとの関わりを聞いた。ビコが逮捕される直前、ビコはネヴィルに意見を聞くためにケープタウンに訪ねてきた。しかしネヴィルは、ビコとは政治路線の違いから、頑なにビコに会うことを拒んだという。ネヴィルにとっての唯一の後悔は、ドアを開ければ、ビコを死なさずにすんだかもしれないという思いにかられていた。ビコは失望してキングウィリアムズタウンに帰る途中に逮捕されたからだった。

 いまではケープタウン大学では、すぐれた社会活動を行った人に毎年「スティーブ・ビコ賞」がこの時期に与えられている。

 

 日本では、栃木、茨城での大豪雨の被害の大きさに驚いている。自然災害とはいえ、これほど大きな被害がなぜ起こるのかわからない。