Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

フランス語の授業 グギの演劇が45年ぶりに上演

 午後3時半から5時までキャンパス・プラザでフランス語の授業。2時半に家を出て、バスで北大路まで。そこから地下鉄で京都駅まで行き、徒歩で7〜8分の所にキャンバスプラザがある。北大路はバスのターミナルがあり、地下鉄ともつながっているので、ちょうど学校帰りの子供や学生たちが賑わう。北大路にはすぐ横に立面館小学校がある。他にも地下鉄沿線には、同志社小学校ノートルダム小学校があり、北大路は子供たちがいっぱい集まってくる場所。周辺には大学もたくさんある。四条までいくと、他府県から京都に修学旅行にやってくる生徒たちが大勢いる。京都駅も賑やか。人の動きはコロナが始まった頃に戻ろうとしている。

 フランス語の授業は、「音を聞いて、書き取る」というもっとも基本的な作業をつうじて、言語を身につけていく。歳のせいにしてはいけないが、なかなか覚えられない。学生時代に作文担当の先生が、一頁ほどの英文を毎週覚えさせられた。通学の電車の中で集中して覚えたものだ。その時の文章をいまだに覚えている。その教科書はいまだにあちこちの大学で使用されている。もちろん内容は少し時代に合わせて変更しているが。暗記すれば、口から言葉が自然に出てくる。娘が小学生の頃、初めて国語の教科書を手にして、何度も何度も大きな声を出して、読んでいたのを思い出す。

 Facebookを見ていると、嬉しいことが二つあった。どちらにもメッセージを送った。一つはWanjiku wa Ngugi(グギ・ワ・ジオンゴさんの娘)に。ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴの戯曲「したいときに結婚するわ」が45年ぶりに上演されるというもの。5月にケニアのナイロビで上演されたとのこと。共同執筆者のグギ・ワ・ミリエは私たちのアフリカ文学研究会の招待でジンバブエの劇団を連れて来日し、パフォーマンスをしてくれたが、惜しくも14年前に交通事故で亡くなった。

 グギ・ワ・ジオンゴとのつきあいは、この演劇から始まった。1977年8月に、ギクユ語で戯曲を書き、この演劇の稽古を始めた頃にナイロビ大学で出会い、そのあとグギさんの自宅に招待され、演劇の舞台を案内していただいた。その後演劇は大成功だったことを新聞などの記事で知った。そしてその年の年末にグギ・ワ・ジオンゴはギクユ語で演劇活動を行い、政府を批判したというのだが、事情を一切明かさない政治拘禁を受けた。その後は亡命生活を余儀なくされた。ここ10年以上にわたって、ノーベル文学賞の候補にあがりながら、なかなか受賞には至っていない。グギは、ノーベル文学賞以上の功績を作品執筆、講演活動、演劇活動などを通じて、残している。