Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

立命館大学でアフリカ文学の講義

 先週と今週、立命館大学でアフリカ文学の講義をした。先週は、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ、今週は南アフリカの作家ベッシー・ヘッド。グギはここ数年、村上春樹と並んで、ノーベル文学賞の候補のあがっている。今年も逃し、イシグロ・カズオにノーベル文学賞がいった。イシグロ・カズオは昨年、日本のテレビドラマ「わたしを離さないで」をみた。なんとも恐ろしい不思議な物語だと思った。「臓器提供者」としてのみの人生を運命づけられた人びとの哀愁が漂っていた。

 授業では、作家と言語の関係、アフリカ文学とは何かを考える機会となった。イシグロ・カズオは日本人だが、イギリスで英語で書く。彼の作品はイギリス文学の系譜に位置付けられる。彼の場合はイギリス文学の系譜に位置付けられる。グギの主張は、英語で小説を書く作家だったが、母語で演劇活動をした結果、一年間の政治拘禁にあった。獄中で、どうして自らの母語で作品を書くことが政治拘禁につながるのかを考えた。英語で小説を書くのではなく、母語のギクユ語で作品を書こうと決心した。その作家活動が、釈放後も政府から迫害を受け、22年も亡命を余儀なくされた。そうした状況の中から生まれた作品は、現実の社会状況や人間模様を明らかにする。迫力がある。グギと彼の作品に出会ったことで、私自身、アフリカ文学を研究することになった。そんなことを講義した。

 今日は、ベッシー・ヘッドの話をした。彼女の生い立ちから作家になるまでの道のりや、意識の変化などを講義し、彼女が描いた作品世界を紹介した。なぜ私自身がベッシーの作品に惹かれたのかを話すことができた。南アフリカアパルトヘイト体制、人種差別と性差別を体験したベッシーが、何を描き、どんな社会を希求したかを講義した。学生たちにとっては、私の話は、いままでとは全く無縁な世界だった。

 柔軟な物の見方ができる若い人たちの感性に、アフリカ文学やアフリカ人作家がどのように映ったのだろうか。どんな社会にも文学作品が生まれるが、作家たちは命がけで作品を生み出していることが伝わっただろうか。日本では文学研究は社会にとって何の役にも立たないと捉え、大学の講義から文学研究がどんどん削ぎ落とされている。文学作品は、人間理解、人間社会を理解するもっともいい題材だと思う。