Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

8月9日 オリンピック閉会式は盛り上がらなかった

 8日夜8時からオリンピック閉会式が行われた。最初から最後まで退屈な閉会式だった。日本を表現するのに、アイヌ文化や沖縄文化を取り入れ、秋田や岐阜の盆おどりが披露され、最後は東京音頭で、日本の民衆文化の多様性と共通性を表現しようとした。オリンピックの観客のいない閉会式にふさしいとは思わなかった。意図は見え見えだが成功していないように思った。民衆文化はもっと人々や生活に密着していたり、民衆の希望や喜びが哀しみなどが表現されているはずなのに、ちっとも共感を呼ばなかった。映像だけが空回りしているような気がした。さらに坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」から、エディット・ピアフの「愛の讃歌」などの楽曲が演じられた。1960年代の東京オリンピックから一歩も進んでいない感があった。次のオリンピックがフランスだからといって、ピアフなのは何故か。ノスタルジーだけで、何の繋がりも感じない。前回のオリンピックをひきづっていた。「復興五輪」はどこに行った?「ウィズコロナ」はどうなった。言葉だけが飛び交うオリンピックで内容はお粗末なものだった。メダル獲得数が史上最大と喜んでいられない。

 最後に大竹しのぶ杉並児童合唱団による「星巡りの歌」が歌われた。大竹が子供に歌を教える姿が、今大会のテーマである「次世代への継承」を表現していた。いつの間にかテーマがコロコロ変わっていたが。しかし、このテーマは伝わっただろうか。夜の10時過ぎに小学生たちが登場するのに違和感を感じた。開会式もそうだった。夜の11時近くまで子供たちが会場にいるのを世界中の人たちはどう感じたのだろうか。歌を教えなくてもいい。スポーツだって、科学だって、なんでもいいはずだ。歌を安易な表現の手段として使っているような気がした。

 台風の影響でお昼前から雨風が強くなった。久しぶりに気温が下がり過ごしよかったが、日本のあちこちで被害が出ていることを知り、胸が痛む。豪雨になったり、風が強いと大きな街路樹が倒れたり、いろいろと被害が大きくなる。防ぎようがないのだろうかといつも思う。

 コロナ感染が拡大しつづける。東京はなかなか下火にならない。オリンピック村でもかなりの感染者がでていたが、情報を外にださない。武藤事務総長は、オリンピック村でコロナ感染者がでたことを「想定内」だと言った。これはあまりにも無責任な発言で、かなりの批判がでていた。バブルがぼろぼろにほころびていたこと、感染防止策がどうだったのか検証もなく、あまりにも責任感が感じられない。組織の長として、オリンピック開催と特に東京での感染者数の増加とは、無関係と言い続けるなか、現実にはオリンピック村で感染が拡大していたことへの反省も責任も感じられない。