Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

5月9日(日) 再び断捨離と、サラ・バートマンについて考える

 日曜日の朝。京都は「緊急事態宣言」が続いているので、大原の朝市もお休み。机の周りを断捨離した。断捨離は昨年以来何度もしているのだけど、なかなか紙類が減らない。A4とB5の種類別に整えるだけでも、少しはすっきりした。それでもゴミ袋いっぱいの処分するものがでた。

 朝から友人のフマ・イブラヒムが新しく出版する本『The Other Body: Sexuality, Spectacle, Silence』の生原稿を読み始めた。第一章The Other Body: Esthetics, Silence and Spectacleは南アフリカ出身のサラ・バートマンについての考察で、とても興味があったので、思わず真剣に読んだ。サラは1810年ケープタウンからロンドン、パリで、見せ物小屋で裸体を観客に見せる興行のために、連れて行かれた。5年間そうした仕事をして、1815年のお正月に亡くなった。しばらくして、「科学者の興味」からパリの人類博物館にサラの生殖器がホルマリン漬けにされ、1975年まで展示された。人種差別の声があがり、1994年にネルソン・マンデラがアフリカ人初の大統領に選出されて以降、フランス政府との交渉ののちに、サラ・バートマンの遺体がケープタウンに2002年に帰ってきた。そしてその年の8月9日に生まれ故郷にお墓が建てられ、埋葬された。こうしたサラ・バートマンをフマは取り上げ、サラの身体の問題を現代史の中に意義づけた。またサラの身体の問題は、単にサラ自身の問題だけではなく、植民地時代の宗主国と被支配の国との関係の中に位置付け、女性の身体が人種差別構造を築き上げるのに、利用された格好の材料となったことを考察していた。

 私自身もサラ・バートマンについては興味があり、これまでいくつか原稿を書いてきた。「南アフリカ紀行サラ・バートマン」(アフリカ文学研究会)

 フマのサラ・バートマンの取り上げ方は説得力があり、明晰な論理の展開に学ぶところが多くあった。フマとは関心事が共通するところがたくさんあり、南アフリカの女性作家ベッシー・ヘッドについてはお互いに全く異なる視点からアプローチしていた。フマ編集の『Bessie Head』という本には私の論文も収録された。30年来の友人で2年前にはフマが住むノースカロライナのシャーロットを訪れた。そしてオハイオまで8時間のドライブを楽しみ、アフリカ文学会に参加したのは遠い昔のような気がする。

 明日は第二章Desire, Hybridity...and Godzillaを読むつもり。