Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

パリ 第三日目

時間を短縮するために、自然史博物館、植物園、エッフェル塔、人類博物館、モンマルトルの丘、サクレ・クールに出かけた。それぞれが行きたい場所をあげ、その中から私がどうしても行きたい人類博物館とモンマルトルの丘だけは今日の予定の中に入れた。

自然史博物館は10時に開館するので、博物館に隣接する植物園の中を散策した。二人でよく京都の植物園を散歩しているので、それぞれに植物園の中を歩くのは好きだ。冬を前にして花々は枯れ始めていた。春や夏に来れば素敵な植物たちに出会えるのにと少し残念な気分であった。他の植物園とは違って、様々な種類の花々たちが畝に植えられていて、明らかに観賞用ではなく、研究用に作られている感じがした。17世紀に「王立薬用植物園」として開設したとのことを知り、納得できた。自然史博物館に、ジョルジュ・キュヴィエの銅像があった。彼はフランスの自然史の発展に寄与した学者だろうが、私にとっては南アフリカのサラ・バートマンが人類博物館に陳列されるという事態に関与した人として大きくショックを受けていたので、彼の名前を見るなり、少し憤りを感じた。午後からはその人類博物館に行く予定にしていた。

秋の木々の特徴は美しい色の実をつけること。この実と葉っぱを見て名前を言い当てることができるといいなあと思う。日本にもよく似た木がある。自然史博物館には、化石や地層の変化を紹介する建物と、動物たちの進化を一堂に陳列していたのは驚き。

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地下鉄で、エッフェル塔のある近くまで移動。セーヌ川側から行けば、すぐにわかるのだが、建物に隠れてエッフェル塔が見えないので、方角を道ゆく人に尋ねてしばらく歩いていると、エッフェル塔が見えてきた。パリ万博の目玉として、このような芸術的な塔が建てられた。セーヌ川を挟んだ、トロカデロ地区に人類博物館があった。この博物館は、シャイヨ宮殿の左側の建物でもある。1878年に創設された「トロカデロ民族誌博物館」の後身で、1937年に国際博覧会の催事として設立されたとのこと。1970年代後半まで、南アフリカのサラ・バートマンが剥製され、展示されていたことで物議を醸し、バートマンはアパルトヘイト後の南アフリカに帰国を許され、故郷の村に埋葬された。国家行事として行われ、時の大統領ターボ・ムベキは「野蛮なのはサラ・バートマンではなく、サラをそのように野蛮に扱ったヨーロッパの人々だ」と述べたことは知られる。 

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そして、モンマルトルの丘に行く。フランスには今回四度目だが、毎回ここには行く。最初にサクレ・クール寺院を夕日が照らして、黄金色に浮かび上がっていた光景にしばし釘付けになった。この丘には若き日の芸術家たちの溜まり場であったり、キャパレー「ムーラン・ルージュ」には音楽家たちなども集まった。若き日のヘミングウェイも出入りしていたことも懐かしく思い出される。ゴッホもこの地を描いた。ルノワールセザンヌピサーロロートレックユトリロモディリアーニピカソ等などが、ここの通りを歩いていたと思うと嬉しくなる。

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