Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

フランス語を学ぶ? 自民党の「裏金疑惑」?

 7日(木)フランス語の読書会があった。少し考えるところがあって、私はなんのためにフランス語を勉強しているのかを考えさせられた。一日中考えるなかで、何がしたいのかが明確でない限り語学の勉強はできないと思った。なんとか、フランス語の文章は読めるようになった。英語を勉強して、英語を教える仕事をし、英語でコミュニケーションがとれるようになってきたプロセスを考えれば、どんな言語の学び方は同じで、他人だよりではない。自らの目的と目標があって、学ぶことであり、今の年齢になって、人と競い合うことでもない。学生時代にフランス語を第二語学として学び、途中で挫折したが、継続して単位はなんとかとり、大学院入学試験でフランス語があった。辞書の持ち込みが許されたので、学部学生時代に学んだ先生が出題することで、教科書を何度も読み返した。無事合格した。大学院でもその先生の授業を取ったが、私のあまりにもひどい発音に先生は、もうフランス語は読まなくていいから、訳読だけでいいと言われた。フランス語の構造は理解できていたと思う。そしてその先生から、フランス語訳の仕事が与えられた。とても高額の謝金をいただいた。初めての翻訳の仕事がフランス語訳だった。その頃から一度も発音と音読を学んでこなかったことが、大きな問題だった。

 私たちが外国語を勉強した時代は、実際に話されている英語を聞く機会がとても少なかった。Voice America や モスクワ放送の英語をなんとかラジオで聞いたりした。大学一年生のときに、アメリカの空母が神戸港に入港したときには、クラス全員がその船に連れて行かれ、乗組員と自由会話をさせられた。すごく象徴的なできごとだった。ある先生は、教室にきて、「Say something」と言うだけだった。私たちは、次々に英語でスピーチしていた。私はある時に受験地獄の現状を話した。先生は突然目を覚ましたかのように、女性がhellという言葉を使うとはなんだと怒りだした。多分私は直訳で、entrance examination hellとでも言ったのだと思う。その時には、いろいろとお説教があった。俗語は大勢の人の前でのスピーチでは使ってはいけないのだと、なんとなくわかったが。今では、You Tubeでも、オンラインで世界中のニュースや音楽も聞ける。映画も観られる。独自に外国語を学ぶ機会はたくさんある。あとは学ぶ意思と継続する力のみ。

 8日(金)午後からフランス語の授業にでた。昨日の反省をカバーしれくれるかのように、先生はフランス語でお話をされ、文章の読みと聞き取りを繰り返された。「基本中の基本」だと理解できた。家に帰って、しばらくすると夕陽がきれいだった。心が落ち着き、明日もいい日になると思わせてくれた。ガザの人たちやウクライナの人たちのことが心に浮かんだ。

 毎日、明るいニュースはない。国会では、首相も官房長官も、いつまでも「答弁は差し控える」と繰り返すばかりで、問題の解決が見えてこない。それでは誰もがわかる松野官房長官の「裏金疑惑」はますます高まる一方で、辞任不可避の声は当然。「「答えないように」と首相から言われているのか」と、記者が官房長官に尋ねると、「私の判断だ」と返しているようだが、もう通じない。自民党ぐるみでやってきた「不正」が早く暴かれて、検察がきっちりと決着をつけ、まともな政治の回復を願う。