Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

サラ・ホワイトさんの死、橋下氏の発言は?

 アフリカ文学研究会の合冊を印刷屋さんにお願いして、来週に印刷最終校が出来上がってくる。その前にいくつかの質問を受けた。ダブリの頁、ナンバリングの間違い、目次との整合性などなど。午前中はその返事のために、最終チェックをした。丁寧にみていただいたことに感謝、感謝。多くを編集してきたので、素人くさい編集と手作り感を懐かしみながら、地道な作業をした。PDFファイルに手を加えて、間違いを訂正。お陰で間違いをただせた。

 机の前に座りネットでニュースを読んだり、Facebookで友人たちが投稿している記事を読んでいたら、あっという間に時間がすぎた。ロンドンでニュービーコンという書店を営んできたサラ・ホワイトさんが亡くなれたというニュースがあった。80歳。あと二ヶ月で81歳だった。数年前にロンドンで開催されたアフリカ文学に関する会議で元気なサラさんにお会いした。グギさんが招待されていた。グギさんから、37年前にニュービーコンを教えられた以来、ロンドンに行くたびに訪れ、アフリカ文学、南アフリカ関連、アフロ・アメリカン、カリビアン関連の本を購入して、多くを学ぶことができた。サラさんは本の仕入れや販売に関わっていたので、何年もしてからでも私のことはよく覚えてくれていた。ニュービーコンは、ロンドンにいるアフリカ系の人たちや、カリブ出身の人たちをつなげる仕事をしていた。ニュービーコン主催の「ラディカル・ブラックおよび第三世界の国際ブックフェア」(1991年3月)では、多くの作家や文化人と出会った。最近ではジョージ・パドモア研究所がこの書店内にあり、文化の交差点となって活動を続けている。創設者はジョン・ラ・ルーズさん。サラさんの夫。ラ・ルーズさんは数年前に亡くなられたが、サラさんや息子さんたちがラ・ルーズさんの意思をついでロンドンでアフリカ系やカリブ海系の人たちの交差点となっている。2年前にロンドンに行く予定をしていたのに、コロナ感染症のために行けなかった。すばらしい活動をされたサラさんのご冥福をお祈りします。

 まだ、「ヒットラー」発言が話題になっている。多くの見識者は、菅氏のツイッターは「ヘイトスピーチ」ではないとしている。よっぽど橋下氏のほうが、人のことを「アホ」とか「バカ」とか「クソババア」とか言って、差別しているではないか。上からの目線で人を差別している。政治家・弁護士として言葉の重みを知っている人が、さんざん人を差別している。「ヒットラーみたい」と言われたのなら、自らが反省して、そう思われないような発言をすべきではないか。テレビに出て、いい加減な発言をして、人を挑発したり、差別的な発言をしていることを反省してほしい。メディアも橋下氏をコメンテーターとして起用することが問題だと、気づいてほしい。橋下氏の発言は不愉快だ。誰も喜んでいない。

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 オリーブとレモンの木は健在。オリープの木は隅っこに押しやられていて、のびのびと枝を伸ばせないでいた。ようやく一等席をとり、今ではまっすぐに伸びている。黄金虫の幼虫が住みついていたが、早くに気がつき、土を全部入れ替えたので、今では気持ちよく育っている。今年こそ、枝先を剪定したので、なんとかたくさんの実をつけてほしい。

 レモンは枝をまっすぐに伸ばさないで、下にむけるといいと教えられた。かなりきつく枝を下向きに縛ったので、なんとか花から実になるように願っている。昨年はたくさん花をつけたが、いつの間にか散ってしまった。まだ一度も実をつけたことはないので。どんなものでも、それなりに育て方があるようだ。