Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

8月28日 気がついたら一週間が経っていた

 朝食時にはNHKの朝ドラをBSで7時半から見ることにしている。だが、土曜日は月〜金までのダイジェスト版なのでみない。「あ〜あ、今週も終わり」と感じる瞬間。時間だけは過ぎていくことに、がっかりする。

 今日Facebookを覗いてみると、南アフリカのデズリーたちのオンライン会議がアップされていた。私は昨日の夜中は夢の中で参加できなかったので、ありがたかった。デズリーはモデレーターの役割で、若い女性研究者や作家たちが自信をもって、「アフリカ人であること」「フェミニストであること」を語っているのを静かに聞いて、大きくうなづいていた。デズリーたちのオンライン会議は、最近にウィットワーターズランド大学出版局から出版された”On being black and feminist in South Africa" についてだった。これまで無視されてきた視座がようやく言語化され、出版されたのだ。すごい。若い時からデズリーと議論してきたり、彼女の生き方を観てきたので、とても爽やかな気持ちでオンライン会議を見ることができた。

 いま思い出したが、私が2006年から2007年にかけてケープタウン大学サバティカルをしていた。1994年にはウェスタン・ケープ大学でサバティカルをしていた時にデズリーに出会った。その時は一室研究室をもらっていた。二回目のサバティカルは住んでいるところから近いケープタウン大学に決めた。そして時々、ウェスタン・ケープ大学にも訪れていた。そこでは狭いが小さな空間を与えられ、いつでも行ける計らいをデズリーがしてくれた。そして2007年にデズリーが2ヶ月ほどアメリカに研究休暇で出かけたときに、デズリーの研究室をいつでも使っていいと、私に鍵を渡してくれた。とてもありがたかった。ところが、白人の女性の学科長が「私に部屋を使わせない、あんたが使うなら他の学生にも使わせる」と言い出した。私はデズリーにメールをしたり、デズリーから預かっている鍵は渡せないし、大揉めに揉めたことがあった。他の友人たちにも相談して、力になってもらった。しばらくして、デズリーが帰ってきて、その白人女性教授に私の目の前で抗議をした。すごいと思った。明らかな「人種差別」だったのだ。

f:id:mwenge:20210828171638j:plain 一日三食。何かを食べなければいけない。食べることが一日の中で、もっとも重要なこと。何を作るか、何を食べるかは大体ルーティン化していると思う。日本は野菜を多く食べる習慣があるので、大体それぞれの家で夏野菜の食べ方は大体決まっている。子供の頃から食べていたような料理を作るのが、普通。それが和食。コロナ禍でほぼ三食は自宅で食べているので、マンネリ化してしまうことがある。そういう時にネットでレシピを検索するといろいろ出てきて、参考になる。今日は焼き鮭と茹で卵と人参をマヨネーズで和えてみた。プランターで作っている紫蘇も役にたった。若い人の発想で生まれたレシピだと思う。とてもおいしくできた。