Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

フランス語授業とエブラヒム・エブラヒムさんに会う

 

今日は午後からフランス語の授業。交通機関の乗り方、目的地への行き方、右、左、真っ直ぐ、信号のところを曲がるなど。少しづつ表現を学ぶ。授業が終わった後、『星の王子さま』を受講生の三人で自主勉強をすることにしていた。それぞれの目的が異なるので、なかなか自主勉強は難しいと感じる。若い人は語学をそれほど勉強したことがないので、独自の勉強方法を試している。何度も読み、それをノートに書き、間違いを訂正し、また何度も読むと言うやり方。もっとも正道なやり方だ。もう一人は年配で5年ほどフランス語を勉強している。日頃は英語の通訳の仕事をしているという。何が何でもフランス語を暗唱して、繰り返し口に出して唱える。これも正道。私はフランス語の作品を読みたい。読みながら発音もお互いに訂正し合うというもの。物語なので、文法などはあまり考えずにどんどん内容を想像を巡らしながら、読んでいくというもの。英語の小説などもそのように読んできた。全体の構成がわかり、ストーリがつかめればいい。細かなことはそのつぎのこと。皆んなで読んでいるうちに、読み進めれるかなあと大雑把なもの。

 結局、習得度がそれぞれに違うので、個人で勉強するしかないのかもしれないと思った。もう少し、優しい楽しいものを読むことで解散となった。

 南アフリカから遠い昔の知り合いが京都に来くるとのことでホテル日航プリンセスで会うことになっていた。その日程調整は外務省の方を通して、昨年の12月からあった。

 南アフリカから来られた方は、エブラヒム・エブラヒムさん。

彼とは、1994年私が南アフリカケープタウンで暮らしていた時に出会った。94年4月に南アフリカ民主化を果たした。

新しい憲法を作るための史上初の全人種参加の選挙があった。その時にエブラヒムは国会議員に選出された。

 彼はマンデラと一緒にロベン島に20年間投獄されていた。彼はひどい拷問にあい、そのために吃音になったという。ケープタウンは国会が開催される立法首都でもあったので、国会が開催される半年間は国会議員ケープタウンで暮らしていた。

 私は当時ウェスタン・ケープ大学に研究休暇を大学からいただいて、ケープタウンで暮らしていた。ウェスタン・ケープ大学はアパルトヘイト時代には多くの教員や学生がアパルトヘイトに反対する闘いを展開してきたことで知れていた。毎週、著名な活動家たちがやってきて、討論会や催しがあった。個人の家でもパーティがあり、楽しい時期だった。そんな中でエブレヒムとも出会った。

 

 当時の写真を持って行き、昔話に花を咲かせた。22年前に撮った写真だが、当時のことをつい最近のことのように語り合ったが、月日の経つのは早いと思った。エブラヒムさんは青春の真っ最中の貴重な20年を投獄されていた。現在の大統領のズマとはロベン島で同じ部屋に投獄されていたとかで、現在大統領室の顧問を務めて、今回の来日は外務省の招きによるという。あまり現実の話には触れないようにした。ズマ大統領は個人的な問題も多く抱えているが、、、、。

 エブラヒムさんは、現在80歳だという。そして結婚して、10歳と8歳の子供がいて、とても幸せだし、家族を養うために引退などしていられないと嬉しそうに語ってくれた。本当によかった。青春を取り戻しているようで、生き生きとしていた。

 南アフリカ産のルイボスティをお土産にいただいた。私は京都のお香をプレゼントした。

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