Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

10月31日 沖縄首里城が焼失と英語民間業者によるテスト

  31日は沖縄の首里城が焼失した。沖縄には、7〜8回出かけている。そのたびに、首里城は見学に行った。とても静かな森の中にあり、本殿や南、北の建物の素晴らしさはいうまでもないが、お城の周辺にある植栽や池の周りなどは散歩するのに、とても気持ちのいいところだった。素晴らしい文化をもつ沖縄が不条理にもアメリカの基地になり、占領状態が続いていることに憤りを感じていた。あるとき、那覇に滞在して、ホテルで自転車を借りて街中をずっと走ったこともあった。さとうきび畑や、町の人たちの暮らしがわかる路地裏などを自転車で友人と走った。台風に備えて瓦は全て漆喰で止めてあるし、大勢の人たちがより集まれる部屋づくりに感激した。南方文化が入ってきたのか、お墓には入口があり、先祖を大切にする独特の雰囲気があった。

 火事による損失は物理的にも精神的にも大きな被害だ。政府はすぐさま、復興に向けて力を入れると宣言した。熊本被害の時もそうだった。熊本城よりも人々の生活の復興が大事だろうと思った。千葉や関東の人たちの今回の台風被害は想像を絶するものだった。ちっとも政府は復興にはなかなか腰をあげない。「雨男、台風被害」と呑気に発言する大臣がいる。

 首里城の焼失はとても残念だし、早急の復興も望まれるが、まずは多くの人の命と生活を奪った台風被害への救援活動が何よりも望まれる。

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2020年度から実施される予定だった、民間業者による英語テストの導入が延期になった。当然のことだ。「身の丈にあった」という発言があったおかげで、この件は大騒ぎになり、多くの人たちの間が真剣に考えられようになったのは、皮肉にもよかった。

 私は初めから、民間業者によるテストそのものに疑問を抱いていた。全国の高校で英語教育が行われており、その教育を否定するものである。第二には大学入試に匹敵する英語検定を民間の業者がなぜやるのか疑問。第三に 英語だけなのかという疑問。もし英語検定が必要なら、国語検定、数学検定、理科検定、社会検定、なども必要になるだろう。日本は教科書が文科省の検定教科書を使い、ほぼ均一な教育が全国で行われている。それだけでも「標準化」した知識の教育がなされていて、不平等、不公平はない。

 しかし、英語だけが、どうして民間の業者で「聞く」「話す」能力に特化したテストを行われなければならないのか。まさに英語教育は話せればいいというレベルに成り下がって、英語を理解する、英語を通じて、世界の文化や政治を理解するというものではなくなっている。英語教育の崩壊にも繋がる。

 大臣のバカな発言が、思いがけずいい方向に向かった。高校生が立ち上がって、この問題に反対しているが、英語教師は沈黙しているのはなぜだろうか。英語教育への介入であることをしっかりと受け止めてほしい。