Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

地デジに思う

テレビが7月24日から地デジに変わり、これまでのアナログ放送が観られなくなる。家電業界はテレビの買い換えをすすめる。価格競争も激しさを増している。そして最近ではテレビの画面の下にアナログ放送が後何日で終わるかが表示されるようになった。
  早く何とかしないとテレビが観られなくなるという脅迫にも思えてくる。我が家にはすでに地デジ対応のテレビがある。京都の左京区では、これまで生駒山頂のアンテナから電波を受信していた。そのため、地デジの番組が3局しか受信できなかった。まわりの高いビルやマンションに電波が遮られたためだ。昨年に比叡山頂に地デジのアンテナが立ち、なんとか7局を受信できるようになった。
    だが、問題は高い値段で買った大型のアナログテレビの処理だ。お金を出せば廃棄物として業者が処理をしてくれる。そしてそれらは解体されて、部品を他国に輸出し、リサイクルするので無駄にならないという。本当にそれでいいのだろうか。
    総務省は低所得層に無料でデジタル変換チューナーを配るというが、実際にどれくらいデジタル化が浸透しているのだろうか。私は新聞の折込広告である量販店が格安のチューナーを売ることを知り、購入することにした。チューナーは小型でテレビに接続してもそれほど邪魔にはならない。外部入力切り替え、三ピン接続、アンテナ接続、デジタルカードの挿入、種々の設定等、接続には多少の知識も必要で、結構面倒だ。私はこういう作業が大好きなので、簡単にデジタル放送に転換することができたが、そんな面倒なことができない高齢者などにはどうなるのだろうか。テレビが大きな娯楽である人には、この7月24日に突然テレビが映らなくなったら、どんなにショックであろうか。
    今回のデジタル化は総務省の決定によるもので、いわば国の政策であるが、国民は個人負担で新しいテレビの買い換え、またはチューナーの設置を強いられている。以前に大阪ガスが都市ガスに転換した時は、可能な限りガス器具の交換を行い安全使用の徹底をはかった。テレビは命に関わることがないので、個人負担でデジタル化に向かおうとしていることに、大きな不満を感じる。テレビは贅沢品ではなく、重要な情報伝達機器でもある。地震速報や緊急ニュースには不可欠だ。
     数年前の情報によれば、デジタル化に対応できないテレビが5000万台にもなると予測されている。私が昨年の冬に2台めのデジタルテレビを購入した時には即金払を求められ、製造が追っつかないので、商品が届くまで一ヶ月も待たされた。
     あと二週間でアナログ放送が終了する。消費文化をあおり、個人の「善意」で「 半ば強制的な国策」がうまく成功するのだろうか。