Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

ケープタウンとヨハネスブルグを訪れる

ここ二週間あまり、ケープタウンヨハネスブルグに行ってきた。限られた、親しい友人との再会とちょっとした旅を楽しんだ。あまりにも個人的な旅だったので、ブログをほとんど書かなかった。書く気持ちにもなれなかった。一つだけはっきりしたことは、旅に出て、非日常から多くの刺激と元気をもらった。コロナを理由にして、「自宅に引きこもる」ことはやめようと思った。なんだか、この4年間、時間を無駄に過ごしたような気がした。4年前にパスポートを更新して、いく予定の海外旅行が取りやめになり、今回初めての利用だった。大阪〜ドバイ〜ケープタウンは24時間もかかり、身にこたえた。

 南アフリカは車社会で、車がないと身動きがとれない。いつもなら、空港でレンタカーして、自分で目的地にいけた。運転免許証を返納したので、すべて友人頼み。公共交通機関がまったく発達していない南アフリカ社会では、すべて友人に送り迎えをしてもらった。ありがたいことだった。車を乗らなくなった南アフリカの友人たちは、いま世界中で発達している「ウーバー」を利用。私は日本で使っている携帯電話しか持っていなかったので、ウーバーも呼べない。友人宅にいるときには、WiFiがあって、ネットにつながるが、それ以外のところでは、携帯電話も使えないので、不便だった。友人たちのおかげで、会いたい人たちには、会えたし、これまで行ったことのあるところへは、再訪することもできた。だが、つくづく思ったのは、南アフリカ社会が、いまもなお公共交通機関を発達させていないのは、社会の差別構造を維持し続け、人びとを、隔離しつづけていると実感した。それと、南アフリカには他のアフリカ諸国から多くの人たちが不法移民として流入しつづけ、スクウォッター地域を拡大させていることも、ショックだった。多くの南アフリカの人たち自身もスクウォッターから抜け出せずにもいる。聞く声は政府の汚職や政策の不備などなど。実際に友人の家では停電、水道が止まることが頻繁にあった。「暮らすこと」の基本を学んだ旅だった。「遠くにいる友人たちに会えた」ことは、「近くにいる友人たちにも会いたい」と思わせてくれた。体力的にも動けたことが何よりも、大きな力となった。風景は相変わらず、ダイナミックで美しい。春を告げる花たちは終わっていたが、それでも少し残っていてくれた。

家に帰ってくると、レモンの木にはアゲハチョウの幼虫がいっぱいて、葉っぱを食べていたが、レモンの実は健在だった。