Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

ガスレンジの買い替え  Jamesのこと  クッツエー著『スペインの家』読む

 いよいよガスレンジを買い換えることにした。もう20年は使っているので、「さよなら」をすることに。3個のコンロがついているが、一つのコンロの火のつき方が悪い。なかなかカチッととまらない。知らない間に消えていることもある。なにかがあると大阪ガスの方に連絡をして相談に乗ってもらってきた。丁寧な説明とテキパキしているので、安心してお願いすることに。ちょうど大阪ガス展の最中なので、割引率もいい。だんだん便利なものが世の中に登場し、いままで使っていたものが、「時代遅れ」にみえてしまう。とくにお魚を焼く時には、レンジの近くにずっといなければならないので、ガスオーブンで、ホイル焼きをすることが多かった。新しいレンジにはタイマーが付いていてとても便利になったそうだ。無水調理、薫製、解凍焼き上げなどもできるという。少人数の料理には便利かもしれない。

 ガスレンジの取り替え工事は12月中旬になる。今日は、ついでにレンジ周りの大掃除をした。油汚れの掃除には、ジェット噴射機が一番。水を水蒸気に変えて、高温でこびりついた油を溶かす。紙タオルか雑巾で拭き取るだけですむ。ついでに流し台まわりも掃除ができた。すっきりした。少し手を加えて、念入りに掃除をすると、気持ちまで大掃除できたよう。

 先週ケープタウン大学で行われたNeville Alexander記念講演会についてブログで書いた。その時に、Neville の信頼する友人Jamesのことを考えていた。するとメールが届いた。Jamesのブックレットができたので、画像で送られてきた。2年前に亡くなられた。私とは1ヶ月だけ年長者でいろいろと議論ができる人だった。Nevilleと活動を共にしていた。とくに開発の問題の専門家だった。高校時代から反アパルトヘイトの活動に関わり、ロベン島に5年間投獄され、釈放後は自宅拘禁にあっていた。ドイツに亡命して、大学教育を受けて、反アパルトヘイトの活動をヨーロッパを舞台にして続けてきた。南アフリカ民主化したあとにドイツから帰国して、大学で教えながら、新生南アフリカのために活動してきた。NevilleはJames を兄弟のように思い、毎日仕事を終えたあとはJamesを訪ねて声をかけていた。とてもユーモアがあり、親切な人で、いろんなことを教わった。Jamesの家にはいつも誰かが訪ねてきていた。

 J.M.クッツエー『スペインの家』(くぼたのぞみ訳)を読んだ。クッツエーは2003年にノーベル文学賞を受賞した南アフリカの作家で、ノーベル文学賞受賞記念講演でスピーチした文章が入っていた。「彼とその従者」がそれ。他に「スペインの家」と「ニートフェルローレン」の短編2篇が収録。ちいさな本だが、いろんな思いがいっぱい詰まった作品集。彼は南アフリカで生まれ、ケープタウン大学で教育を受けたが、のちにアメリカのテキサス大学オースティン校で博士号を取得。ケープタウン大学で教えながら、作家活動を始め、イギリスのブッカー賞なども受賞した。ノーベル文学賞を受賞して以降オーストラリアのアデレードに移住。彼のパートナー・ドロシー・ドライバーはケープタウン大学でアフリカ文学を教えていたが、いまはアデレード大学で教鞭をとっている。2006年に私がサバティカルケープタウン大学にいたときに、ドロシーの授業に出させてもらった。朝の8時半から授業が週3回もあったので、ちょっと後悔したが、とりあげていた作品はほとんど読んでいたので、ドロシーがどう学生に教えるのかが非常に興味があった。白人の学生はほとんど作品を読んでこないのと、何の反応も示さないので、ある時に爆弾が落ちた。アフリカ人学生は自分たちのことが書かれているので、反応は鋭かったのも、面白かった。

 クッツエーのこの『スペインの家』はとても軽やかで、奥深い物語だった。訳者のくぼたのぞみさんは、詩人でもあり、クッツエーの作品を数多く訳しておられ、この短編集はとくに、クッツエーの声が聞こえてきそうな、ゆるやかなリズムのある言葉がつたわってきた。クッツエーがノーベル文学賞を受賞するきっかけになった作品『Disgrace (日本語訳『恥辱』鴻巣友季子訳)』には、「がっかり」というよりは「憤り」すら感じた。南アフリカ社会を描いているのだが、いろんな角度から議論され、評価がわかれた作品だった。作品の舞台になった場所は私自身が日常に経験していた場所でもあり、生活臭や空気感がわかっていたので、とても興味深い作品だったが、好きになれなかった。民主化した南アフリカ社会への挑戦を試みたのだろうが。

 「スペインの家」は、人と家との関わりを書いていて、非常に面白かった。ケープタウンからオーストラリアのアデレードに移住することを決めた直前に発表したものだけに、非常に理路整然として、南アフリカを離れることには何の執着もなかったのだと思った。むしろ新しい家で暮らすことへの希望がみえた。クッツエーは2007年12月にドロシーと一緒に来日し、東大で講演会があった。私はそこに参加したが、その数日後に京都に来られ、夕食を御馳走になった。クッツエーもドロシーもベジタリアンだったので、私も同じものをいただいた。和食は野菜中心の料理がたくさんあるので、お気にめしたようだったが・・・

秋咲きのバラは大輪。満開になる少し前に切り花にして小さな花瓶に入れておくと、そこからどんどん大きな花びらを咲かせる。食卓においてあるので、食欲がわいてくる。何かわからない力をもらっている。