Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

秋葉大臣の答弁? 大原の朝市、Neville Alexander氏の10周年記念講演会

 秋葉復興大臣は、25日(金)の衆議院予算委員会で旧統一教会との関係を問われた。旧統一教会の友好団体と同じ住所に事務所をおく「平和連合宮城県連合会」に会費(2万4千円)を支出していたことが政治資金収支報告書でわかった。しかし、自民党の点検調査では秋葉氏の名前はなかった。また、自身の選挙期間中に公設秘書に活動報酬を支払ったことが問題になっている。事前に、秘書の選挙活動を選管に届けていない場合には、「選挙運動買収」につながる。また、次男が秋葉大臣の名前のタスキをかけて選挙応援をしたことは、選挙違反にあたる。この点がつかれたが、秋葉大臣は「次男が勝手に親を思ってやったことで、指摘を受けて、3日でやめた」と逃げた。さまざまな疑惑が浮上していて、先の3人の大臣辞職につづくのではないか。答弁があまりにも、不誠実で、「知らない」「わからない」「調査中」と逃げの一手だった。岸田首相はあいも変わらず、大臣任命責任を逃れつづけている。指導力のない総理。政治が腐敗している。

 27日、日曜日の朝は恒例の大原の朝市へ。お花は、ピラカンサアルストロメリアを購入。先週購入した聖護院カブラと赤大根があまりにも美味しかったので、今日も購入した。薄切りにしてお塩をし、甘酢でつける。千枚漬けにした。赤大根は生でたべてもとてもみずみずしくて、甘みがあり、美味しい。珍しく畑菜があった。畑菜は京都の伝統野菜だといわれているが、関西では馴染みの野菜で、薄揚げと一緒に炊いたのを食べていた。スーパーではあまり見かけないので、うれしい出会いだった。帰路、貴船神社周辺の紅葉を観に行った。いまが一番美しく紅葉しているように思った。美しい緑色の北山杉の間に真紅の紅葉がバエていた。

    

夜7時にドーハで開催されているサッカー・ワールド・カップで、日本はコスタリカと対戦したが、惜しくも0対1で負けた。スピードとパスでは日本は負けていたように思う。ドイツ戦の前半みたいな戦い方だった。それにしてもサッカーは体当たりのゲームで危険が伴っていると改めて思った。メディアの異常な報道のあり方には、ちょっとひけてしまう。期待ばかりかけると、負けたときに大きな失望があり、その落差がこわい。

 昨日、今日とケープタウン大学で、Neville Alexander氏の10周年記念講演会が開催されて、You Tubeにアップされた。友人や知人たちがネヴィルのことを語っていた。ネヴィルの考えをどう継承していくかを議論していた。またネヴィルの所蔵していた膨大な資料はケープタウン大学の図書館のアーカイブに入っているが、数年前のテーブルマウンテンの山火事の延焼により大学の図書館が火事にあった。どうもネヴィルの資料は残っているようだが、今後どうするかを検討中だとか。ちょうど10年前の2012年8月27日に75歳で亡くなった。ネヴィルはケープタウン大学で、マルティリンガル教育の実践として、オルターナティブ教育研究所の所長だった。私は、サバティカルの学外研修(2006年9月〜2007年8月)で、ネヴィルの研究所に籍を置き、数多くの貴重な体験をさせてもらった。You Tubeで会議の様子、当時さまざまなプロジェクトで一緒に活動した人たちがネヴィルの足跡と現在も続いている活動の様子を語っていた。ネヴィルがいかに多くの人たちに影響を与え、その活動がいまも続いていることを知って嬉しく思った。コロナがなければ、ケープタウンにでかけ、記念講演会に参加していたと思うが。

 ネヴィルのことを知ったのは、野間寛二郎著『差別と反逆の原点ーアパルトヘイトの国』(1969)を読んだ時だった。ネヴィル・アレクサンダーは1964年〜1974年までの10年間ネルソン・マンデラと一緒にロベン島の刑務所に収監されていた。野間さんの本の中に、ネヴィルがドイツで知り合った日本人の友人に宛てた手紙に、反アパルトヘイト活動のために、ロベン島に収監されたことを書いていた。その手紙を野間さんが翻訳して、著書に紹介していた。それを私は読んでいて、よく記憶していた。1994年4月から1995年3月まで南アフリカに滞在していた時に、ネヴィルに出会い、そのことを伝えると、えらく驚いていたのを今でもよく覚えている。ネヴィルに教えられたことはたくさんある。ひとつは2006年12月に「Vulindela Reading Club」を立ち上げ、毎週土曜日の午前中、地域の子供達にコーサ語と英語で絵本の読み聞かせ活動に参加させてもらった経験は何ものにもかえがたい。冬の寒い時期に、ネヴィルが大きなお鍋一杯に野菜スープを運んできてくれたときに、子供たちが大喜びだったのを今でもはっきりと覚えている。