Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

10月3日 リハビリとあれこれ

 あっという間に時間がすぎて行く。しかも毎日何をしていたのかも思い出せない。日記がわりに備忘録としてこのブログを書いているのだが、知らない間に時間が過ぎている。

 9月30日(月)。朝、整形外科にリハビリを受けにいく。その帰りに筋トレジム・カーブスで軽く運動をする。その帰りに、北大路ターミナルにあるビブレで電球を購入した。消費税が上がる前に生活用品を購入した。トイレットペーパーの棚には商品が残り少なくなっていた。誰もが少しでも生活防衛のために、生活必需品を買い置きしておこうと思ったのだろう。

 交通機関の定期の値上がり、運賃の値上がりに備えて、あちこちで長蛇の列ができたと、ニュースで流れる。今回の消費税値上げは本当に必要なのだろうかと頭を傾げる。それほど給料も上がっていないし、子育て世代の人たちの生活はちっとも豊かでもない。政府は、社会福祉は100年安心と声高に叫んでいたのに、老人の年金を下げようと企んだり、健康保険料を値上げしようとしている。今整形外科で、肩の筋肉がちぎれているので、肩と手を繋ぐ他の筋肉を強化するリハビリを受けているが、夜になると肩が痛むので、シップ薬をもらっている。しかしこのシップ薬は保険外になる。自腹で薬局で購入することになると、大変な金額が個人負担となる。

 10月1日。何かが変わったわけではないが、ニュースは消費税10%の値上がりの混乱を伝える。まるでお祭り騒ぎで、嫌悪感を催す。本当に必要な消費税なのかの検討は全くない。何に使うかを曖昧にしたままで、安倍首相はアメリカのいいなりになり、戦闘機を爆買いし、アメリカの牛肉の関税を大幅に引き下げ、アメリカから、私たちが食べないトウモロコシを爆買いして、トランプ大統領を喜ばせている。関電だって、賄賂をもらい、電気代をあげて、原子力発電で大もうけをしている。世の中どうなっているのと、疑いたくなるのは私だけではない。

f:id:mwenge:20191003134516j:plain 午前中は習字教室に行った。 「宮殿盤鬱 楼観飛驚」の後半部を書いた。意味は、高楼がそびえている様子は飛ぶ鳥も驚くほどだ。なかなか難しい漢字であった。長年漢字を書いてきた手が、その文字を覚えていて、なかなか先生のご指導の通りに書けない。

だが、一字一句を丁寧に書こうとする緊張感は、大切にしたい。

 午後からは、今求められている仕事に取り組む。集中して本を読む。納得いく情報、知らなかった情報、確認した情報など、一つの世界の中に数時間浸ることができ、幸せだった。

10月2日。朝の11時30分からリハビリ。少しは腕が上まであげることができるようになったが、長い時間続かない。気長にリハビリを受けるしかないのかなあ?

 南アフリカの劇作家、アソール・フガードのことを調べる。1972年に上演した「陳述書」の台本を読む。面白かった。出版当時から50年近くたつが、今でも意味があり、様ざまなところで上演されているという。アパルトヘイト時代に背徳法で逮捕された、カラードの男性と白人の女性の恋の物語。馬鹿げた法律によって、人間の愛情や生活が歪められるというものだ。アパルトヘイト法案が強化され、人種隔離社会となった70年代の南アフリカで、上演されたこと、台本が出版されたことはとても意義があったと改めて思った。

 最近、東京でも、同時代のフガードの作品「島」(マンデラらが投獄された「ロベン島」のこと)が上演された。私は1988年に平田満演じる「島」を東京で見た。もう30年も前のことだが。アパルトヘイト時代に、世界中でフガードの作品を通して、南アフリカで起こっていることを理解しようとした。まだ、まだフガードの作品が演じられるのは、共通して世界中で同じことが起こっているということだと思った。

 まだ、洗濯機が使えないので、手洗いで毎日洗濯をしている。3週間にもなるので、慣れてしまったが、洗濯機のなかった時代には、洗濯は家事の中でも力のいる仕事。洗濯機、冷蔵庫、電気釜は家事を軽減してくれた電気製品だが、電気がなくなれば、生活はお手上げ状態になる。

 大手の関電や東電などの電力会社に電力を100%依存しない生活を快適におくるためには、どうすればいいのだろうか。つくづく思うこの頃である。