Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

ランチから御所を散歩

 WANのシンポジウムが5月18日に同志社大学で開催される。私はアメリカに出かけるので、参加できないが、下準備のために懇親会場となる同志社大学の寒梅館に入っているレストランに四人で行った。学生食堂なので、値段が安いがボリュームは大きい。めったに外で食べないハンバーグ・ランチを食べた。それほど脂こくはなく美味しかった。いろいろと打ち合わせをして、当日のメニューを決めた。新学期が始まったばかりなので、大勢の学生たちがひっきりなしに食事をしていた。4月は新しい出会いがあり、活気があっていい。

 すごくいいお天気だったので、三人で御所の中を散歩しながら烏丸御池まで歩いた。御所の中はまだ桜が咲いていた。ボタン桜が美しい。御衣黄桜(ギョイコウサクラ)と呼ばれる珍しい桜があった。黄緑色の始めてみる桜だった。白から淡い緑色に変わり、最後に中心部が赤くなるという。貴族の衣装の萌黄色に近いとのことで御衣黄と名付けられたとか。

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 以前に御所には珍しい雑草があるということを知った。芝生の間にいろんな草花が咲いていたが、キランソウ(ジゴクノカマノフタ)かもしれないが、カキドオシかもしれない。すごい名前だが、とても愛らしい。写真を撮らなかったのが、残念。

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 加茂川沿いの家の前のバス停を降りると、いつも土手に咲く花ばなを見ている。今日は始めて紫色の釣り鐘水仙を見つけた。先日までは水仙がそばで咲いていた。

 少し、アフリカ文学会で発表する原稿にとりかかる。

4月17日 ノートルダムの火事と春の陽気

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 日本時間、16日の未明にノートルダムが火事で焼けた。あんなにも頑丈そうな寺院が大火事で崩壊した。大聖堂は改修工事中で、それが火事の原因かもしれないとのこと。刻々と、寺院の尖塔が崩れる様子が映像で映し出される。思わず声が出てしまう。昨年11月にパリでノートルダムを訪れたばかりだった。このあたりは歴史的にも貴重なところがたくさんあり、大勢の人が集まる所だ。ノートルダム大聖堂は際立ち、荘厳そのもの。素敵なステンドグラスなどどうなったのだろうかと心配する。長い歴史を見つめてきた建物の修復には時間も費用もかかるだろうが、フランスのマクロン大統領は早急に復旧に取りかかると断言した。

 

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 北側のベランダは、昨年の台風の時には大きな被害はなかったが、プランターが経年劣化したので、芝桜を植え替えた。その時にチューリップの球根を埋めておいた。それがようやく、今日初めて咲いた。形も色も様ざまで、成長も様ざまの不揃いだが、愛おしい。

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最近バラの栽培に興味を持っている。Facebookでバラの育て方のグループに入り、皆さんがバラを愛おしく育てているのを拝見している。また会員になっている「大人の小学校」の「バラの手入れ」の講座にも出ている。植物園でバラ園を眺めているだけでは飽き足らず、自分で育ててみようと挑戦中。以前は、バラの鉢をただ眺めるだけ、何もしないで放置したままだった。今2鉢の3種類のバラは新しい葉を勢いよく出して成長している。バラの先生曰く、どんなバラにも名前が付いているので、最初買った時に付いている名前をしっかりと覚えておきなさいと言われた。うちにあるバラの名前はわからない。これからはタグも植えておくことにしようと思った。植物園のバラには全て名前が付いているのも、ようやく納得。

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今年初めての蕾が一つだけ出てきた。どのように咲くのか待ち遠しい。小さい葉っぱのつるバラは母のところから一部引き抜いてきたもの。元気に育ってくれてホッとする。

 今日はずっと家の中にいたので、午後4時ごろから筋トレジム・カーブスに出かける。少し身体を動かすだけでも、筋肉がほぐれて身体が軽くなる。

 

4月16日 仁和寺の桜

 仁和寺の桜は御室桜と呼ばれ、遅咲きの低木で知られている。昨年仁和寺に出かけた時はうまくタイミングが合わず、桜は終わっていた。今年は桜が満開だった。八重の桜が多く、ソメイヨシノとは全く異なる豪華な桜。低木が多いので、桜の木の間をを歩いていると、目の前に桜の花びらがあるのも嬉しい。桜祭り時期とのことで、入場料500円を払わないと境内には入れなかった。これまで何度も仁和寺の境内に出かけているが、一度も入場料を払ったことはなかった。

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 ここもすごくたくさんの観光客がきていた。一箇所に桜をまとめていて、桜の園のような雰囲気だった。仁和寺には濃厚なピンクのミツバツツジも咲き始めていた。仁和寺ツツジでも有名なお寺。   

  仁和寺前からは、バスの本数が少ないので、双ヶ岡の横を通り、丸太町通りまで歩いて出ることにした。

 花瓶に生けていた石楠花が一気に咲いた。もう一つの花瓶ではヒメコブシが咲き終わり、残りの花たちは春爛漫。

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4月14日 大原の朝市から半ぎの道

 今年は桜を長く鑑賞できた。友人に誘われて大原の朝市に出かける。先週は桜が咲き始めていたが、市原あたりから、大原に続く桜並木道は満開になっていた。早朝なので車も少なく、桜を独り占めして眺めることができた。結構山の方にも桜が咲いていた。昨年は吉野の千本桜を見たが、この世のものと思えないほどの素晴らしい桜の山だった。

 今年は並木道に植わった桜を見る機会がたくさんあった。少なくともこの2週間は京都のどこに行っても桜が満開だった。新しいことを始めるきっかけとエネルギーをもらえたような気分。

 大原では野菜はちょうど端境期なのか、葉物は菜の花やからし菜くらいしかなかった。いつものお花屋さんはとても華やかなお花をいっぱい束ねていた。花束に名前を書いてくれているので、この時期の花々だとわかる。クロモジ、ハナズオウヤマツツジ、ムギ、アミガサユリ(バイモユリ)、ラショウモンカズラ、菜の花、チューリップ等など。お庭に咲いているという石楠花をいただいた。手洗いのところに飾った。一輪挿しの椿もいい。

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 朝の食事を済ませ、洗濯物を干してから出町柳のお肉屋さんに買い物に行く。途中雨が降り始めたので、北大路からバスに乗った。ミンチ肉で肉団子を作り、ゴボウとニンジンと牛肉で佃煮を作った。大原で買ってきたチリメンジャコでちりめんサンショも。時間のあるときに、佃煮を作っておくと便利。娘のところへおすそ分け。

4月12日 京都を観光する

 知人の娘さんがケープタウンから京都にやってきた。父親から「よろしく」と頼まれた。母親は私にメールを出したが、うまく届かなかったという。この父と母はずいぶん前に離婚しているが、どちらも娘とはいい関係を保っているという。父親は著名な写真家でアパルトヘイト時代の活動の歴史をカメラに収めてきた。母親はとりわけ教育の部門で活動してきた。1994年に私がウェスタン・ケープ大学にサバティカルで出かけていた時には、お世話になり、お二人のお宅にも何度かお邪魔したことがある。その後にも南アフリカに行くと、様々な会合でお出会いする機会がたくさんあった。マンデラ政権下では母親の方は、政府の直轄下の教育省で仕事をされていて、プレトリアで暮らしていた。3年ほど前に、この母親は京都に来られた。忙しいスケジュールの中、夕食を一緒にする機会があった。

 娘さんは、友人と一緒に東京からやってきた。WhatsAppで行きたいところは清水寺円山公園哲学の道銀閣寺を書いてきた。そこで、私は、河原町丸太町に近い、Kyoto Morris Hotelに泊まっているというので、そこに朝の9時に行き、早朝の哲学の道を歩くことにした。旅行者には便利な1日バス乗車券を購入。私は敬老パスがあるので、バスも地下鉄も乗り放題。とにかく丸太町から天王町まで行き、そこから哲学の道銀閣寺の近くまで歩いた。早朝だったので、外国人観光客はちらほらといたが、それでもこの時期の人の多さは何度も経験しているので、この選択は良かった。桜もまだ満開で、疎水の周りにはミツマタレンギョウ、チューリップ、ビオラなどとても春らしい花が咲いていた。

 本当に久しぶりに銀閣寺に行った。とても綺麗に掃除がしていて、いつきても気持ちがいい。白砂の銀紗灘もいい。真っ白のキャンパスに月光が美しく映るのだそうだが、夜には閉門になっているので、誰も知らない。月光でなくとも、この白いキャンパスに自らの色を思い描いてもいいのではないかといつも思う。落ち着きのある銀閣寺は好きだ。

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白川通りで友人のお母さんが何十年も前から赤飯や和菓子を売っている。このあたりに来るたびにお赤飯を買っているので、立ち寄る。友人がお母さんと肩を並べて店番をしていた。本当に久しぶりに出会った。友人曰く、昨日ふと私のことを思っていたという。偶然とはいえ、何かしら嬉しい気持ちになった。ケープタウンからの私のお客は、このお店から三色お団子をいただいていた。和食屋さんを紹介してもらって、食堂に行く。

f:id:mwenge:20190412131712j:plain 午後からは金閣寺に行った。銀閣寺を比較するのもいい。京都へやってくる外国人観光客はほぼみんな金閣寺には行く。私も外国からのお客さんは金閣寺に案内するので、何度も行く。1980年代に南アフリカから反アパルトヘイト運動への支援と理解を得に日本にやってくる活動家たちは、ほぼ京都にやってくると、私たち何人かがおもてなしをする。ある時、私が郵便局で働く労働組合のリーダー(名前は忘れた)を金閣寺に案内した時に、ポツリと、「日本は、南アフリカから金を購入する世界トップの国であることがわかった」と言った。そしてぼっそと、「金鉱山で働く労働者や、建設現場で働く労働者が、ひもじい思いをして、高い足場から転落するのは、このためだったのだ」と言った。心に沁みる言葉だった。

 二条城によってみたが、ものすごい観光客で長蛇の列があったので、入場は諦めた。彼女曰く。「まだ時間がたくさんあるので、出直してくる」と。ブラブラ歩いていると、彼女と同行している友人とパッタリと出会った。友人たちは丸太町から二条城まで歩いてきて、御池まで歩いて、マンガミュージアムに行くという。一緒にマンガミュージアムまで歩く。京都精華大学ミュージアムの運営に当たっているので、久しぶりに訪れたが、私は中に入らないで、三人を残して、スタバックスでコーヒ休憩をすることに。

 あとは烏丸通を降り、六角堂の中を入る。隣の池坊では華道展をしていたが、別の機会に来るというので、錦市場を案内した。日本の食文化に興味津々。寺町から河原町通りに出て、バスで丸太町まで帰り、ホテルで別れる。よく歩いた一日だった。24882歩も歩いた。

4月10日 久しぶりの雨 「女性研究者」は社会に不要なのだろうか

 久しぶりに雨が降り、非常に寒かった。全国的に寒波がやってきて、関東や東北では大雪が降ったようだ。雪が降るほどではなかったが、空気が冷たかった。4時前に筋トレジム・カーブスに行き、整形外科でスーパライザーの治療を受ける。まだ腕の付け根が痛くて、毎晩夜になると腕が痛くて動かなくなる。それと同時に花粉症がひどくて鼻水と涙が出て、喉が痛い。花粉症は雨の時にはひどくないはずなのに、そうでもない。

  一日ゆっくりと家にいて、南アフリカの女性作家の作品をパラパラと読む。アフリカ文学会から来ているメールを読み直してみると、私は友人とパネルで2010年以降の南アフリカ性文学について語ることになっている。さあ、大変だあまり意識をしていなかったので、気を引き締めて、原稿を用意しなければならない。ゆったりした気分で机の前に座ることができた。2010年は南アフリカでワールドカップが開催された年だ。南アフリカ民主化して20年弱。ワールドカップからおよそ20年弱。この比較をしようというものなのだ。確かに民主化後に生まれた人たちが、新しい世代として社会を担っている。新しい作家たちも活躍している。

 メディアでは2016年2月2日に自殺をした西村玲(43)のことが取り上げられていた。大学院で学び、江戸中期の普寂に注目した仏教研究を行い、博士号を取得。その後は日本学術振興会から特別研究員に選ばれ、研鑽を積んで著書を出版。学術研究省も受賞した。しかし研究職に何度も応募するが、就職はできなかった。そしてついに社会に絶望して自死を選択した。このニュースは、様々なことを含んでいる。

 大学のような研究機関では、文系の研究を継続するのが難しくなっていること、女性が研究職に就くことが困難であること、教員の採用が期限付きになっていること、などなど。政治が教育を支配しつつある傾向が強まり、とりわけ即社会に役だ立たない研究が切り捨てられていく。政府は軍事研究のような即社会に役立つ研究には莫大な研究費を出すなど暴挙に出ているが、そうした傾向に強く抗議する大学もたくさんある。

 私の知人たちは、水田水脈国会議員から言われなき暴言を吐かれ、研究者に対する学問の自由の侵害、学術研究に対する権力の介入に対して、裁判闘争を始めた。今後も注目していきたいが、西村さんの場合は一人で苦しまれたのだろうが、根底には同じ問題があると思う。

 私などは、西村玲さんとは異なる分野の研究をしてきたが、アフリカ文学の研究など、日本社会にとってどんな役に立つのかと問われてきた。「いつか役に立つ」ではダメなのだ。日本社会では全く「役に立たない」かもしれないが、世界的規模で見たとき、アフリカ人作家たちのアフリカ文学を確立努力や成果などがあり、それらから様々なことが学べる。アフリカ人自身やアフリカ人以外の研究者からも多くを知ることができる。

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4月9日、病院とお習字

  夫と一緒に朝食を抜いて病院に行き、いつもの血液検査をする。花粉症が強くなり、喉が痛く、鼻水と涙がひどい。お天気が続いているので、花粉が一層空中を飛び交っているのだろうか。病院で処方箋を書いていただき、薬をいただく。症状が治まってくれることを望む。

 病院の帰りは、途中でコーヒとサンドウィッチの朝食を喫茶店でとり、北山通りから加茂川に出て、桜並木を通り抜けて家に帰った。お天気がいいので、すでに大勢の人たちが川沿いを散策していた。桜の力は大きいと思った。不律植物園の横にある半らぎの道の遅咲きのシダレ桜も咲き始めた。背景の山は比叡山

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  午後からは習字のお稽古に出かけた。習字の先生によれば、スガ官房長官が発表した「令和」の文字は、内閣府の辞令専門官の茂住修身さんが書いたそうだ。とても美しい字で、私は好きな字だ。

 私が今日書いた文字は「守真志満」。「守真志満 遂物意移」の前半部。「真を守れば、志は満たされる。物を逐えば、意は移る」という意味。