Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

4月10日 久しぶりの雨 「女性研究者」は社会に不要なのだろうか

 久しぶりに雨が降り、非常に寒かった。全国的に寒波がやってきて、関東や東北では大雪が降ったようだ。雪が降るほどではなかったが、空気が冷たかった。4時前に筋トレジム・カーブスに行き、整形外科でスーパライザーの治療を受ける。まだ腕の付け根が痛くて、毎晩夜になると腕が痛くて動かなくなる。それと同時に花粉症がひどくて鼻水と涙が出て、喉が痛い。花粉症は雨の時にはひどくないはずなのに、そうでもない。

  一日ゆっくりと家にいて、南アフリカの女性作家の作品をパラパラと読む。アフリカ文学会から来ているメールを読み直してみると、私は友人とパネルで2010年以降の南アフリカ性文学について語ることになっている。さあ、大変だあまり意識をしていなかったので、気を引き締めて、原稿を用意しなければならない。ゆったりした気分で机の前に座ることができた。2010年は南アフリカでワールドカップが開催された年だ。南アフリカ民主化して20年弱。ワールドカップからおよそ20年弱。この比較をしようというものなのだ。確かに民主化後に生まれた人たちが、新しい世代として社会を担っている。新しい作家たちも活躍している。

 メディアでは2016年2月2日に自殺をした西村玲(43)のことが取り上げられていた。大学院で学び、江戸中期の普寂に注目した仏教研究を行い、博士号を取得。その後は日本学術振興会から特別研究員に選ばれ、研鑽を積んで著書を出版。学術研究省も受賞した。しかし研究職に何度も応募するが、就職はできなかった。そしてついに社会に絶望して自死を選択した。このニュースは、様々なことを含んでいる。

 大学のような研究機関では、文系の研究を継続するのが難しくなっていること、女性が研究職に就くことが困難であること、教員の採用が期限付きになっていること、などなど。政治が教育を支配しつつある傾向が強まり、とりわけ即社会に役だ立たない研究が切り捨てられていく。政府は軍事研究のような即社会に役立つ研究には莫大な研究費を出すなど暴挙に出ているが、そうした傾向に強く抗議する大学もたくさんある。

 私の知人たちは、水田水脈国会議員から言われなき暴言を吐かれ、研究者に対する学問の自由の侵害、学術研究に対する権力の介入に対して、裁判闘争を始めた。今後も注目していきたいが、西村さんの場合は一人で苦しまれたのだろうが、根底には同じ問題があると思う。

 私などは、西村玲さんとは異なる分野の研究をしてきたが、アフリカ文学の研究など、日本社会にとってどんな役に立つのかと問われてきた。「いつか役に立つ」ではダメなのだ。日本社会では全く「役に立たない」かもしれないが、世界的規模で見たとき、アフリカ人作家たちのアフリカ文学を確立努力や成果などがあり、それらから様々なことが学べる。アフリカ人自身やアフリカ人以外の研究者からも多くを知ることができる。

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