Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

4月12日 京都を観光する

 知人の娘さんがケープタウンから京都にやってきた。父親から「よろしく」と頼まれた。母親は私にメールを出したが、うまく届かなかったという。この父と母はずいぶん前に離婚しているが、どちらも娘とはいい関係を保っているという。父親は著名な写真家でアパルトヘイト時代の活動の歴史をカメラに収めてきた。母親はとりわけ教育の部門で活動してきた。1994年に私がウェスタン・ケープ大学にサバティカルで出かけていた時には、お世話になり、お二人のお宅にも何度かお邪魔したことがある。その後にも南アフリカに行くと、様々な会合でお出会いする機会がたくさんあった。マンデラ政権下では母親の方は、政府の直轄下の教育省で仕事をされていて、プレトリアで暮らしていた。3年ほど前に、この母親は京都に来られた。忙しいスケジュールの中、夕食を一緒にする機会があった。

 娘さんは、友人と一緒に東京からやってきた。WhatsAppで行きたいところは清水寺円山公園哲学の道銀閣寺を書いてきた。そこで、私は、河原町丸太町に近い、Kyoto Morris Hotelに泊まっているというので、そこに朝の9時に行き、早朝の哲学の道を歩くことにした。旅行者には便利な1日バス乗車券を購入。私は敬老パスがあるので、バスも地下鉄も乗り放題。とにかく丸太町から天王町まで行き、そこから哲学の道銀閣寺の近くまで歩いた。早朝だったので、外国人観光客はちらほらといたが、それでもこの時期の人の多さは何度も経験しているので、この選択は良かった。桜もまだ満開で、疎水の周りにはミツマタレンギョウ、チューリップ、ビオラなどとても春らしい花が咲いていた。

 本当に久しぶりに銀閣寺に行った。とても綺麗に掃除がしていて、いつきても気持ちがいい。白砂の銀紗灘もいい。真っ白のキャンパスに月光が美しく映るのだそうだが、夜には閉門になっているので、誰も知らない。月光でなくとも、この白いキャンパスに自らの色を思い描いてもいいのではないかといつも思う。落ち着きのある銀閣寺は好きだ。

f:id:mwenge:20190412093640j:plain f:id:mwenge:20190412104018j:plain
白川通りで友人のお母さんが何十年も前から赤飯や和菓子を売っている。このあたりに来るたびにお赤飯を買っているので、立ち寄る。友人がお母さんと肩を並べて店番をしていた。本当に久しぶりに出会った。友人曰く、昨日ふと私のことを思っていたという。偶然とはいえ、何かしら嬉しい気持ちになった。ケープタウンからの私のお客は、このお店から三色お団子をいただいていた。和食屋さんを紹介してもらって、食堂に行く。

f:id:mwenge:20190412131712j:plain 午後からは金閣寺に行った。銀閣寺を比較するのもいい。京都へやってくる外国人観光客はほぼみんな金閣寺には行く。私も外国からのお客さんは金閣寺に案内するので、何度も行く。1980年代に南アフリカから反アパルトヘイト運動への支援と理解を得に日本にやってくる活動家たちは、ほぼ京都にやってくると、私たち何人かがおもてなしをする。ある時、私が郵便局で働く労働組合のリーダー(名前は忘れた)を金閣寺に案内した時に、ポツリと、「日本は、南アフリカから金を購入する世界トップの国であることがわかった」と言った。そしてぼっそと、「金鉱山で働く労働者や、建設現場で働く労働者が、ひもじい思いをして、高い足場から転落するのは、このためだったのだ」と言った。心に沁みる言葉だった。

 二条城によってみたが、ものすごい観光客で長蛇の列があったので、入場は諦めた。彼女曰く。「まだ時間がたくさんあるので、出直してくる」と。ブラブラ歩いていると、彼女と同行している友人とパッタリと出会った。友人たちは丸太町から二条城まで歩いてきて、御池まで歩いて、マンガミュージアムに行くという。一緒にマンガミュージアムまで歩く。京都精華大学ミュージアムの運営に当たっているので、久しぶりに訪れたが、私は中に入らないで、三人を残して、スタバックスでコーヒ休憩をすることに。

 あとは烏丸通を降り、六角堂の中を入る。隣の池坊では華道展をしていたが、別の機会に来るというので、錦市場を案内した。日本の食文化に興味津々。寺町から河原町通りに出て、バスで丸太町まで帰り、ホテルで別れる。よく歩いた一日だった。24882歩も歩いた。