Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

書道とフランス語

11月13日、書道のお稽古日。月二回なので楽しく出かけている。千字文の半分ほどまできたのだろうか。

「交友投分 切磨箴規」の前の部分を書いた。友と交わるには、分をわきまえ、切磋琢磨して戒め合うという意味。古い中国の漢字を書いた。左は13日に書き、右は20日に書いた。

f:id:mwenge:20181119114528p:plainf:id:mwenge:20181121102500j:plain

14日は一日中家にいる。何をしたのかはよく覚えていない。のんびり過ごした。

15日。夜フランス語の振替授業に出る。先生も出席している人たちもよく知らない。このクラスには先生の教え方の流儀があり、先生の指示通りに正しくできない生徒を排除するような雰囲気があった。以前にも一度授業に出たことがあったが、先生のやり方についていけなくて嫌な気分になったことがある。すっかりそんなことは忘れていた。他所から来た生徒にはひどく無視したりするところもあるが、そんなことには頓着なく座っていた。すると、フランス語を読まされて、間違いを指摘された。確かにフランス語の読みはなかなか私の頭には入ってこない。英語読みがどこかで邪魔していることは十分に自覚している。いきなり先生から、「あんたの間違いは、よくある。これまで40年間フランス語の教師をしているから、そんな人の間違いは生涯、直らない」と言われた。少し考えているうちに、だんだん腹が立ってきた。私だって、40年語学を教えてきた人間だ。だが、学生に対してはそんなことは一切言ったことはないし、教師は語学学習に自信を失わせないように指導していくのが仕事ではないか。その先生は授業中に、マルセイユのフランス語とパリのフランス語の違いを滔々と述べ、フランス語の多様性を語るのではなく、「田舎者のフランス語」というように、侮蔑も含まれていた。そうであれば、私が接するアフリカ人のフランス語は「ど田舎のフランス語」になるのだろうかと、少し気分を悪くしていた続きに私の発音の間違いを指摘したのだ。ひどく気が動転した。「私にはフランス語を学ぶ資格はない」とでも言われているような気がした。フランス帝国主義の言語教育なのだろうかとも思った。それならば、私は何のためにフランス語を勉強しているのだろうか。あまり進歩もないので、もうフランス語を学ぶのをやめようかとも思うほどショックを受けた。おそらく私の自尊心が傷ついたのかもしれない。そんな程度のことなのだろうか。

 大学院時代にフランス語の授業を先生と一対一で学んだことがある。その時はフランスの作家の短編小説を読んだ。フランス語で音読することはパスされた。発音指導をしていると作品を読むことができないというので、訳読が中心だった。この時期にきちっと発音を学んでいれば、今のような苦労はなかったのにと後悔。後悔していても始まらないので、めげずに続けるしかないのかもしれない。

 翌日の正規のフランス語の授業では、先生からいつもの楽しいフランス語の授業を受けることができ、同じクラスにいる人たちとも気持ちよく過ごせた。