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Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

8月27日(火)ネヴィル・アレクサンダーの一周忌記念講演会に

 冷蔵庫を開けてみると、パンがなくなっていたので、半合ほどのご飯を小さな鍋で炊いた。ワカメのみそ汁と、卵焼き、人参のサラダ、トマトとキュウリの質素な食事をする。白ご飯に塩こぶをかけて食べる。


 4時から6時まで、ケープタウン大学のアフリカ研究センターでネヴィル・アレクサンダーの一周忌記念講演会が行なわれた。百人弱の人が参加していた。Remembering Neville Alexander, Language, Power and Transformation.



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ケープタウン大学のアフリカ研究センター(CAS)とPRAESAと、言語学科との共催だった。Chloe Kileyのすばらしい歌から始まり、CASのダイレクターのLungisile Ntsebezaの司会で、ネヴィルの簡単な経歴が紹介された。
 つづいて、Neville’s Language biography: “Neville Alexander in Conversation. With the Power of Langauges against the Language of Power.” から一節が、言語学科のAna Dleumert によって読まれた。ネヴィルが東ケープ州のクラドックでアフリカーンス語、英語、コーサ語の環境の中で育ち、祖母がエチオピアから来て、いつも民族語で神に語りかけているのを見ていたという。マルティリンガルな社会を経験したことが、その後の彼の人生に大きな影響を与え、ネヴィルの思想と実践の基盤となった。

PRAESAのMalusi Ntoyaphi, Carole Bloch, Ntombi Mahobeによって、Neville が始めたプロジェクト(リーディングクラブの取り組み、マルティリンガリズムの実践)が紹介された。The Happy Princeの英語版とコーサ語版も披露された。


 最後には、社会学科のDr. Jacques de WetがThe Language Question in Higher Education, policy debate のプレゼンテーションがあり、しばらく質疑応答がつづいた。De Wet はネヴィルがどれほど言語の問題にかかわってきたかを紹介した。ケープタウン大学は英語主導の大学だが、ネヴィルはその言語環境を変えるべく、PRAESAを大学内におき活動してきた。しかしながら、アフリカ人学生を多く受け入れながらも、なかなか英語環境に依拠してマルティリンガリズムを導入しないできたことを紹介した。
 こうした一連のレクチャーが終わり、スナックや飲み物が用意された。久しぶりに元PRAESAで仕事をしていた人たちにも出会った。


 この日はネヴィルの命日にもあたるので、ネヴィルの最も近くにいたジェームズ、カレン、ニキと共に食事をした。ネヴィルがいつも人と出会う機会をもうけてくれたことに感謝した。どのようにネヴィルを記憶し、記録するかも話した。ネヴィルのドイツ人の友人が作った小さな写真集にカレンや私の孫たちも含まれていた。2006年にダーリンで年末を過ごした時の写真だが、ついこの前のように思えた。